歯科経営者に聴く(前編)
~第一線で活躍する理事長から学ぶ~
「歌劇の街」として全国的に知られる兵庫県宝塚市は市内にいくつもの高級住宅街を有する住宅都市でもある。
矯正歯科たかぎ・クリニックは阪急宝塚線、今津線、JR福知山線の宝塚駅から徒歩7分、阪急今津線の宝塚南口駅から徒歩3分の場所に2004年に開業した歯科医院で、矯正歯科治療を専門に行っている。
今月と来月の2回にわたり、矯正歯科たかぎ・クリニックの高木豊明院長にお話を伺った。
矯正歯科たかぎ・クリニック 高木 豊明 院長
【プロフィール】
- 1970年富山県 生まれ
- 1995年徳島大学 卒業
- 1999年徳島大学歯学部歯科矯正学講座 文部科学教官(助手)
- 2001年公益社団法人日本矯正歯科学会認定医 取得
- 2004年矯正歯科たかぎ・クリニック開設 顎口腔機能診断施設および自立支援(旧育成更生)医療機関指定
- 2008年兵庫県立衛生学院歯科衛生士学科実習施設に指定
- 2010年一般社団法人宝塚市歯科医師会 学校歯科担当理事(2018年からは常務理事)
- 2015年公益社団法人日本矯正歯科学会臨床指導医(旧専門医)取得
- 2016年公益社団法人日本矯正歯科学会 臨床研修施設に認定
- 2017年一般社団法人日本舌側矯正歯科学会認定医 取得
- 2019年世界舌側矯正歯科学会(WSLO)認定医 取得
- 2020年兵庫県自治賞受賞
- 2021年一般社団法人日本口蓋裂学会認定師(矯正歯科)取得
【開業に至るまで】
歯科医師を目指されたきっかけはどのようなものだったのですか。
歯科医師の中には親が歯科医師なので、自分も目指したという人が少なくありませんが、私の父はサラリーマンでした。私は父の姿を見て、自分で何かしたい、手に職をつけたいという思いがありました。最初は医学部志望だったのですが、歯学部で6年間を過ごすうちに、医科も歯科も医療に対する根本は同じであることが分かりました。若かったですし、すごい目的も崇高なきっかけも全くなかったですね(笑)。
学生時代に思い出に残っていることはありますか。
塾で講師のアルバイトをしていたことです。小学生から高校生まで見ていましたが、年齢的にも矯正を考える世代ですので、その頃に子どもたちと接する経験を持ち、彼らの考えていることに触れられたことは今、とても活かされています。矯正歯科医として、彼らの考えが理解できるのです。
卒業後は大学病院に残られたのですね。
一般的な歯科医師にはなりたくなかったからです。虫歯を治すにとどまらず、口腔外科で手術をするスペシャリストになりたいと思っていました。私は富山県出身なので、最初は地元に戻る予定だったのですが、手に職といいますか、特殊技能を身につけたくなり、行き着いた先が矯正歯科だったのです。矯正歯科を勉強していくうちに、その奥深さや難しさが分かってきて、3年ぐらいで辞めようと考えていたところが、どっぷりとはまってしまい、9年間、矯正歯科を学び続けました。
勤務医時代はどのようなことが勉強になりましたか。
矯正歯科は簡単な治療ではなく、勉強や経験をすればするほど難しいですし、今も難しさを感じます。したがって、究めようとしたら、これ一本でやっていくしかないのです。それが分かったのが入局して、矯正の認定医を取得したときですね。認定医を取得したからといって、矯正を究めたわけではありません。その頃からこの道で開業しようと決意しました。
開業を決意された動機について、お聞かせください。
大学では口蓋裂、顎変形症、顎関節症といった難しい症例をいくつも経験してきました。その中には他院では難しいと判断された紹介患者さんも多くいらっしゃいました。矯正は歯並びを真っ直ぐにしたら治ったと思われがちですが、そうではありません。噛み合わせなのです。歯並びが真っ直ぐになっても噛めない人、矯正に納得していない人もいらっしゃいます。大学では決まった方法しかできませんが、開業することによって、これまでやってきたことや新しい治療法を自分なりにまとめて患者さんに提供し、そういう方々のためになりたい、矯正歯科を究めていきたいと考え、開業を決めました。
大学では限界があるのですか。
大学は臨床だけでなく、研究や教育をするところで、ウエイトで言うと、一番上は研究、その次は教育、臨床は3番目なのです。だから私の「臨床を究めたい」という思いとは違っていました。診療方針には何パターンもあるのに、大学だと決まった診療方針があるので、患者さんはそれに従わざるを得ません。私としては倫理観や技術も必要ですが、患者さん一人一人を診ながら治療することが医療では大事なことだと思っていました。矯正は病気を治すものではないので、しなくても生きていけます。でも私は患者さんを治したかったですし、技術的なことで言えば、歯を残すために噛み合わせを作りたかったのです。開業して、そのシステムをきちんと作って、患者さんに提供したいと考えました。
立地をどのようにして決められたのですか。
私は富山県出身で、徳島県に住んでいたのですが、関西に何度か行くうちに関西で開業したいという気持ちが強くなりました。関西ならどこでも良かったのです(笑)。色々な現場を見ましたし、エリア分析もしましたが、矯正治療のニーズを考慮すると、阪急沿線に絞って探すことにしました。宝塚市であれば、山もありますし、大阪のような都会にも30分ほどで行けますので、住むところとしてはとても良い場所です。そこから開業地も宝塚市にしようと思いました。
開業にあたってはどんな苦労がありましたか。
経営ですね。大学病院勤務後にすぐに開業したので、矯正治療以外の経営やスタッフ教育についてはあまりにも知識がなさすぎました。2、3年は一般歯科に勤務した方が良かったのではと後悔もしましたし、3、4年は苦労しました。しかし開業するとなると、そういうことも勉強せざるを得なくなります。大学の授業で経営学を学べるといいですよね(笑)。また、私は地元での開業ではなかったですし、親が歯科医師でもなかったので準備を手伝ってもらうこともなく、集患にも苦労しました。初年度は年間20人もおらず、最初の3年間でトータルの患者さんは70人ほどでしたね。その後、少しずつ増えてきて、5年目ぐらいで年間100人を超えたぐらいでしょうか。歯科医師会での様々な仕事や学校歯科などの多くのコミュニティに参加したことが良かったのでしょう。横の繋がりを作ったことで、ご紹介を受けたりする中で認知されていきました。
開業にあたってのコンセプトなどをお聞かせください。
専門医で開業すると難症例が多く来ますが、これをきちんと治すことです。私は学会での発表をよくしているのですが、矯正歯科の業界でどれだけ評価されるかということも大事です。患者さんからの人気がいくらあったとしても、技術的なことはまた別です。この業界の中で「この先生はこういう方法できちんと治すから、きちんとした先生だね」と評価されないといけません。したがって、「自分はできるんだ」と自負しているのであれば、「こういう症例をこうやって治しました」という発表をする機会を持つことは必要です。これが「この先生のところで、こういう治療を受けてください」という紹介にも繋がります。そうした連携も大切です。私一人では治せないので、口腔外科や補綴の先生方と連携して治していくことも心がけています。
設計、レイアウトの工夫などをお聞かせください。
待合室は白を基調にしています。診察室のチェアはオレンジにして、明るい印象にしています。また、別のフロアにスタッフルームを設けています。