歯科経営者に聴く - ふくら歯科医院 福羅勝久 院長(前編)

歯科経営者に聴く(前編)

~第一線で活躍する理事長から学ぶ~

ふくら歯科医院

 東京都江戸川区船堀は高さ115メートルの展望室を持つタワーホール船堀で知られ、最近では再開発が進む一方で、中川や荒川が流れるなど、自然も豊かであることから人気の住宅街である。

 ふくら歯科医院は都営地下鉄新宿線船堀駅から徒歩2分、タワーホール船堀のすぐそばに2000年に新規移転開業した歯科医院である。一般歯科のみならず、小児矯正に強みを持っていることが特徴だ。

 今月と来月の2回にわたり、ふくら歯科医院の福羅勝久院長にお話を伺った。

福羅 勝久 院長

ふくら歯科医院 福羅 勝久 院長

【プロフィール】

  • 1957年東京都 生まれ
  • 1987年昭和大学 卒業
  • 1987年宮田歯科医院 勤務
  • 1990年鷲宮歯科医院 勤務
  • 1993年ふくら歯科医院 開設
  • 2000年ふくら歯科医院 移転

【所属】

  • 日本歯科医師会会員
  • 東京都歯科医師会会員
  • 江戸川区歯科医師会会員
  • 歯学博士(口腔細菌専攻科)
  • 昭和大学歯学部口腔微生物学教室非常勤講師
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開業に至るまで

歯科医師を目指されたきっかけについて教えてください。

私は東京都世田谷区で生まれ育ちました。当時の世田谷は自然が豊富で、私も自然の中で遊んでいました。中学生のときに担任の先生が生物の先生だったことで、私も理科が好きになりました。高校生の頃に注目されていた遺伝子に私も興味を持ち、東邦大学理学部に進学しました。DNAなどの研究は面白かったのですが、仕事にするとなると難しいと考えていたところ、大学の先生から「世の中に役立つことをしなさい」と言われ、医学に興味を持ちました。そして手先が器用だったこともあり、東邦大学を卒業後に昭和大学歯学部に進学しました。

勤務先の歯科医院を選ばれたのはどうしてですか。

大学の先生の推薦があったことに加え、大学時代は経験できなかった臨床を数多く積めるところでしたし、1年目の歯科医師でも難抜歯を任せていただけると伺い、お世話になることにしました。

勤務先で学ばれたのはどういったことですか。

最初は保険診療、そしてセラミックやインプラントなどの自費診療です。そこで3年間、勤務したのち、鷲宮歯科医院に移りました。

転職されたのはどうしてですか。

鷲宮歯科医院では院長職を務められるとお聞きしたからです。この歯科医院は団地の1階にあったこともあり、子どもの患者さんが多くいらしていました。ここでの経験が開業後の小児歯科や小児矯正に役に立っています。また、院長職に就いてみれば開業しても大丈夫なのかどうかを試せると思っていたのですが、鷲宮歯科医院では経営の理念や経理についても教えていただき、開業への自信がつきました。

開業しようと決断された経緯について、お聞かせください。

院長職を経験したことで自信がついたからです。患者さんと長くお付き合いをして、特に子どもさんの成長を口の中を診ることで実感したいと思い、開業を決意しました。

開業地をどのように選ばれたのですか。

妻の姉夫妻が江戸川区で歯科医院を開業していたことが大きいです。江戸川区歯科医師会の先生方がとても親切に指導してくださいましたし、江戸川区は子どもに優しい自治体として知られていますので、私も江戸川区で開業しようと考えました。最初は篠崎で開業していたのですが、篠崎公園の工事のために立ち退きになり、6年後に船堀に移転開業しました。

設計のこだわりをお聞かせください。

子どもの患者さんが遊べるチャイルドコーナーを作ったことです。とにかく患者さんが来やすいと思ってくださるように作っていきました。

開業にあたり、苦労した点などがあれば、お聞かせください。

患者さんがついてくださるようになるまではかなり苦労しました。お蔭様で、船堀に移転してからは船堀駅から徒歩2分ということもあり、楽になりました。

理念・治療スタイル

診療方針を教えてください。

保険診療をきちんと行っていくことです。これは最初に勤務した宮田歯科医院で学んだことでもあります。「保険診療もできない歯科医師が自費診療などできるわけがない」と教わりましたので、保険診療をきちんとすることを心がけていますし、その延長に自費診療があると考えています。

続きは、2/1公開の後編で!