歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
香川メディカルグループ 香川芳江 総院長
香川メディカルグループは大阪府下に3医療法人、14医院を経営し、東京日本橋高島屋前に東京本院、大阪府堺市に研究所を開設し、歯科医師30人、総勢100人を超えるスタッフを擁している。
香川芳江総院長は、開院以来、教育環境の整備に力を注ぎ、最新鋭の診療空間の中で「現場主義」によるリーダーシップを発揮してきた。
今回の「キーパーソンに聞く」では、治療と教育を一体化した理想的な環境を作り上げた香川メディカルグループの香川芳江総院長にお話を伺った。
香川芳江総院長は広島市出身。大阪歯科大学を卒業後、1969年に大阪歯科大学口腔外科に入局した。
「最初は外科医になりたかったんですよ。でも当時は卒業後2年間のインターン制がありましたので、親も心配だったのでしょう。それでインターンのない歯科を選びました。口腔外科に入局したのは、開業した場合、患者さんの様々なリスクに対応するためには必要な学問だと思ったからです。そういった基礎知識を十分学ばせて頂きましたね。」
1971年に堺市金岡町で開業する。卒後3年目での開業は、大学時代に十分な臨床実習が行なわれていた当時では珍しくなかった。そして開業当初から香川総院長には研修センターの構想があった。
「松下幸之助の『儲からない企業は悪だ』という言葉に賛同します。ある程度の利益水準が出ないと、再生産できません。歯科医院にとって再生産すべきは有能な歯科医師です。治療のプロとして歯科医師が臨床で成果を挙げていくことが大切なのです。そして優秀な歯科医師のもとでは、コデンタルも育っていくと確信していました。」
その後、1981年に大阪府富田林市に香川歯科医院、1983年に堺市に香川新金岡歯科医院を相次いで開設する。研修センターの設立は1985年のことであった。
「まず寮を整備しました。遠方の先生に来て頂いても、関西圏は敷金などが高く、そのような負担を強いるのは私の合理精神が許さなかったのです。寮は全て無料で提供しています。いい人材を育てるための投資です。給与など生活保障も充実させています。」
1987年には医療法人五月会を設立し、1990年に堺市に香川金岡歯科医院を開院する。同年には医療法人芳明会を設立し、堺市に香川上歯科医院を開院する。1991年に八尾市に香川八尾歯科医院、富田林市に香川藤沢台歯科医院を開院するなど、医療活動の場が拡大していく。1992年に医療法人松原会を設立し、松原市に香川松原歯科医院を開院する。さらに1994年には大阪市住吉区に香川あびこ歯科医院、1995年に大阪市平野区に香川平野歯科医院を開院し、研修センターの基盤となる治療体制が磐石となった。
「分院ができると1年間は、私がメインで行ってシステム作りをしていました。現在は材料の置き場所など全てマニュアル化しています。歯科医師が治療に専念するためには、システムが整備されていないといけません。今では14の診療所内で、どこに勤務しても困らないように平準化できています。」
1998年には東京の三井記念病院と提携し、歯科研修医指導施設院外診療所となり、厚生労働省(当時の厚生省)から歯科医師研修指導施設の認可を受ける。
「最初の認定ですから厚生省も厳しかったですね。大手の診療所や大病院、大学と、人脈も豊富にありましたし、私による直接指導も評価して頂いたのだと思っています。三井記念病院と提携したのは、どこからも疑問の声が上がらないように正攻法でいこうとした結果ですね。設備も認められましたし、卒業生の充実振りも評価の対象でした。さらに、私どもでは10年以上のキャリアを持つ勤務医が多く、指導医の資格も4人ほど持っており、これは大きな強みになりました。」
香川メディカルグループ研究所では毎月、全診療所の医師、歯科医師が集まり、最新医療の研修を行い、また新人医師、歯科医師には毎月の勉強会を行っている。
国家試験合格後、最初の1週間は研修センターで基礎知識を学ぶ。ここで重視しているのは一般常識、社会道徳などである。
「挨拶が出来ない、謝ることができない、笑顔を作ることができないなど、最近の若い先生方のコミュニケーション能力は高いとは言えません。でも悪気があって挨拶しないのではないんですね。親がきちんとしつけなかっただけなのです。これから人間を相手にする職業に就くわけですから、そういう教育はしっかりと行っています。」
1週間後に診療室の見学を行い、そこでの疑問点をさらに講義で明らかにしていく。そして講義では、14の診療所から抜歯牙を集め、抜歯牙模型を作製させるなど模型実習を徹底して行っている。
「大学ではきれいな模型を使いますが、実際に治療の現場で見るのはきれいな歯ではありません。汚く、ぼろぼろになった歯に対して削除量を考えさせ、バーの選定理由などを考えさせます。そして、私が全部やってみせています。院長がきちんとした技術を持っていたら、そこまでできるようになろうと思ってもらえます。『院長、この程度か』と思われてはいけないのです。」
人数の多い大学では教育が行き届かないところを重点的に研修させることも大きな特徴であろう。静脈確保に関しては、みなマスターしているという。そしてシミュレーションから治療計画を立てさせ、トータルで最終判断力を養成している。
また、各分野の一流の講師を招き、講演会、技術指導を行う。毎週土曜日はインプラントなどの勉強会、月に1回は症例検討会を開催している。研修センターの建物の2階には60人が収容できる研修室が完備されている。
「百聞は一見に如かずで、モニターをいくら見せても技術は覚えられません。実際にやって勉強するのが一番です。キャリアが浅い先生の場合だと、ベテランが助手につき、細かく指導します。ケースによっては主治医と執刀医が別のこともありますが、患者さんにはかえって安心して頂けるのではないでしょうか。」
手術に際しては、助手や衛生士の役割も全て歯科医師が担うという。主治医と執刀医が異なる場合は主治医が第一助手につき、同じ場合には経験のある医師が第一助手につく。ある程度経験を積んだ医師は第二助手として器具の受け渡しなどの業務をこなす。そして第三助手が「外回り」と呼ばれる衛生士の仕事ととなる。結果として、手術のクオリティーが上がり、応急処置のもたつきもない。またグループ内に形成外科を併設しているため麻酔科の医師によるフォローを始め、全身疾患に対応するために医科の医師も講師に迎えるなど厚い体制を誇る。
「私は現場主義ですし、現場での医師を見て私どものカラーに合わないなと思うこともあります。ところが、そこで努力する先生もいらっしゃいます。耐える力がある先生は伸びますね。」
研修所を卒業して、香川メディカルグループの勤務医となり、ほぼ10年で巣立った歯科医師は40人を数え、関西圏を中心に広島、東京などで開業しているという。
「普通の人間に1払うよりも、優秀な人間に1.3払おうと思っています。優秀な人材は1.5ぐらい働きますから。皆、10年間しっかりお給料を貯めているので、メーカーさんから『こちらの勤務医の先生が開業されるときは、皆さん財力がおありになるので、こちらも楽ですよ』と言われますね(笑)。私どもを卒業しても、年に2回ぐらい元気な顔を見せにきてくれるのは嬉しいことです。」
福利厚生が充実していることも特筆すべきであろう。ハワイのワイキキにヒルトンラグーナタワーを2室所有し、スタッフ旅行にも使用している。香川総院長のご主人である香川哲理事長もスタッフへは細やかな気配りを行う。
「理事長がコンペを主催してゴルフをしたり、理事長所有のクルーザーでクルージングやパーティーなどをしています。私は北の湖部屋の後援会長をしていまして、激励会や打ち上げ会などにも皆で行くなど、遊びは遊びと割り切っていますね。」
2003年に大阪市北区に開院した香川メディカルグループ大阪梅田歯科には香川メディカルグループ大阪美容皮膚科・内科・形成外科を併設している。
「完璧な美人というのは口元が治って初めて実現するものです。そこでトータルビューティーのために、首から上のことを全部できるようなクリニックを作りました。半分は自分のためですけどね(笑)。」
香川総院長に今後の夢をお伺いした。
「娘が大阪歯科大学を卒業後、UCLAのエステティックデンティストリーに留学しています。アメリカのナショナルライセンスを取れれば、アメリカで歯科を開業したいですね。また、ドクターズコスメの開発もしていますので、リゾートのエステをハワイに開設することも視野に入れています。」