歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
TEETHART 椿智之 代表
「日本人の歯を白くしたい。白くなった自分の歯を鏡で見れば、自然に歯を大切にするようになるはずです」
日本にホワイトニングを定着させたパイオニア、椿智之氏の言葉である。主要先進国と比べると、日本人の虫歯は、例外的といえるほどに多い。虫歯になってから治療するより予防をするほうが良いのは当たり前だが、その当たり前が浸透していないのだ。これは、「痛くなければ良い」から「白く健康的な歯がほしい」への意識改革が遅れているためだ、と言いかえることもできる。予防意識の向上させるためにも、来院をうながす付加価値として注目されるホワイトニングだが、看板に「ホワイトニングもやります」と書き加えるだけで効果が上がるものでもない
そこで今回は、ホワイトニングを定着させるためにどんな工夫をしてきたのかを中心にお話を伺った。
ホワイトニングのパイオニア 前編/TEETHART代表 椿智之 先生
プロフィール
- 1963年 東京生まれ
- 1988年3月 日本歯科大学 卒業
- 1988年4月 歯科医師国家試験合格、歯科医師免許取得
- 1990年8月 ハーバード大学歯学部 留学
- 1995年5月 TEETHART銀座店をオープン
- 現在TEETHART代表
1.ホワイトニングは当たり前?
Q. まず、ホワイトニングをはじめられたきっかけから伺いたいと思います。
A. 学生のときから、ビューティーをやりたいと考えていました。ハーバードへの留学で、アメリカでの様子を見たのも、ひとつのきっかけになりました。
アメリカでは、95パーセントの人がホワイトニングをやっているんですよ。特別なものではなくて、一般の治療といっしょなんですね。受けたことのない人のほうが珍しいというくらいメジャーになっています。
Q. 美と健康を別々に考えるのではなく、健康美として総合的に追求しているからかもしれませんね。日本ではどうでしょうか?
A. ホワイトニングを取り入れている歯科医が、まだ三割いっていないと思いますが、これからは増えて行くと思います。
2.なぜ、審美歯科ではなくサロンなのか
Q. しかし、銀座に開店された1995年当時、少なくとも一般にはまったく認知されていなかったでしょう?
A. ええ。当初はまったくお客さんが来ませんでしたね。歯科と書いてないので、「髪を切ってください」と、美容院と間違って入ってくる人がいたりで。一年くらいは開店休業状態で、一日ひとりとか二人とかでした。
Q. どれだけ技術に自信があっても、専門を打ち出すだけで間口が狭くなって、お客さんが少なくなるのではないかと心配するのが普通です。まして、まだ認知されていないホワイトニング専門のサロンでは---なぜ、あえてその形を選ばれたのですか?
A. TEETHARTをやる前に、父の歯科医院を手伝って、そこでホワイトニングやクリーニングをすすめていたんですが、難しいんですよ。治療にいらっしゃる患者さんは、ホワイトニングのためだけでは、なかなか歯医者に足が向かないんですね。
3.歯医者は怖がられている?
Q. 歯のホワイトニングなのに歯医者に足が向かない?どう言うことでしょう?
A. ひとつには「クリーニングに行って虫歯が見つかったら、歯を削られるのではないか」、「歯医者でクリーニングをすると、麻酔をされるのではないか」という気持ちがあるらしい。
それに、治療もしていますから、他のユニットから、キーンとタービンの音がしてくる。リラックスできないんですね。
つまり、「気軽に来てください」と言うには、歯科医院という場は無理があるんですよ。それで、審美歯科としてではなく、ホワイトニング専門のサロンとして本店をはじめたんです。
4.ホワイトニングはサロンのもの?
Q. 確かに、サロンでは歯科医師専用の物々しい椅子も見当たらないし、お客さんをリラックスさせるための工夫をしていらっしゃるのが良くわかります。それに、「削らないから気楽に行けた」という感想も、良く聞きます。
もしかしたら、ホワイトニングはサロンで、という流れになるのでしょうか?
A. やはり医院のほうが信用できるという人、かかりつけ以外には触らせたくないという人もいます。歯科医院とサロンでは、客層が重なっている部分もありますが、両方あってリンクと棲み分けができてくると思いますね。
普通の歯医者さんなら、治療もホワイトニングも一緒にやっていかなければならない。それはそれで良いと思うんですよ。今ではホワイトニングをしますよと、普通の歯医者でも言えるようになっていると思いますから。でも、TEETHARTを始めたときには、ホワイトニングは流行っていないどころか全く知られていませんでしたから、認知してもらうためにも専門店が必要だったんです。銀座という場所にこだわったのも、そのためです。おかげさまで、しばらくすると女性誌などで取り上げられて、お客さんも増え、一般にも認知され始めました。
Q. 日経で取り上げられたのが95年の冬ですね。「価格破壊」が流行語になったのとほぼ同時期。
A. バブルには完全に乗り遅れましたからね。全然イケイケじゃなかったですよ(笑)。