歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
のぶ歯科クリニック 丸橋 伸行 院長
神戸市須磨区ののぶ歯科クリニックは神戸市営地下鉄西神・山手線と山陽電鉄本線の板宿駅から徒歩5分、商店街のアーケードを抜けてすぐの好立地にある。しかし、近隣には競合も多く、2006年の開業後はしばらく冬の時代が続いていたという。ところが2008年に転機があった。のぶ歯科クリニックでインプラント治療を行った患者さんから「いい入れ歯だったら、もっと良かったのに」と言われたことを機に、丸橋伸行院長はデンチャー治療に着目する。インプラントが全盛である現在、丸橋院長自身も勤務医時代からずっとインプラントを積極的に手がけてきた。デンチャー治療には「長い経験が必要」という先入観があるが、それを砕いたのが「BPSデンチャー」という新しいシステムである。のぶ歯科クリニックではこのBPSデンチャーを取り入れ、以後、患者さんの数が飛躍的に増大している。「人が嫌がることにニーズがある」と語る丸橋院長にお話を伺ってきた。
のぶ歯科クリニック 丸橋 伸行 院長
プロフィール
- 1973年 兵庫県西宮市生まれ
- 1999年 広島大学歯学部卒業
- 1999年 広島大学歯学部歯周病科入局
- 2001年 神戸市内の歯科医院に勤務
- 2006年 のぶ歯科クリニック開設
【開業に至るまで】
歯科医師を目指されたきっかけをお聞かせください。
父が歯科医師であることが大きいですね。私自身も「サラリーマンには向いていない」と思っていました。そこで医学部か歯学部を考えたときに、小さい頃から父の姿を見てきていますので、歯科の方が馴染みがあったという理由です。
大学時代に、勉強以外で力を入れられたことはどんなことでしょうか。
アルバイトですね。バーテンをしていました。アルバイトを通して、 接客と経営の基本を学びました。バーでは仕事の価値観が180度変わりました。私はバーテンとはカクテルを作る人と思っていましたので、ひたすら真面目にカクテルを作っていました。そんな私を見て店長が「お前はお客さんのことを考えていない。バーに一人でくる若い女性は、大人の気分を味わいに来ているのかもしれない。ちょっとした背伸びだ。女性を連れてきた男性は、お酒を飲みに来たのではない。女性をくどくために来たんだ。バーテンの仕事は、その人にとって特別な一夜を演出することだぞ」と声をかけてくれました。目からうろこでした。今思うと、お客さんの目的を知るという接客業の基本を教えてくれたのですね。
大手チェーンの喫茶店でも働きました。食材は生ものなので、仕入れをミスったらすべてパーです。梅雨時はパンにカビが生えますから。ですので、仕入れは難しい仕事ですが、アルバイトでもできるようにシステム化されていました。ここで、難しい仕事を初心者でもできるようにするシステムを作るという経営者の発想を学びました。
卒業後、大学病院に残られたのはどうしてですか。
卒後は大学院に進学することは考えず、臨床に進むつもりでした。臨床研修の義務化前でしたから、ほとんどの同級生は開業医に就職しました。皆は「開業医は何でも教えてくれるから」と言っていたのですが、私には「まともな就活経験がない歯科大生に何が分かるのだろう」という疑問がありました。そこで2年間、研修医をしながら考えることにしました。
歯周病科を選ばれたのはどんな理由からでしょうか。
研修医担当の先生が歯周病科の講師でいらしたというのが大きな理由です。
研修医を終えて、神戸の歯科医院に就職されたそうですが、ご実家に戻るという選択肢はなかったのですか。
実家の歯科医院ですと、父と喧嘩になりそうでしたので、避けました(笑)。神戸の歯科医院は大学に求人票が来ていて、興味を持ちました。その頃の私は普及し始めていたパソコンやデジカメが気になっていました。患者さんへのプレゼンにパソコンを使えたらいいだろうなあと思い、そういったことを自由に提案できそうな雰囲気に惹かれました。実際にコストがかかることでも、面白そうなことをさせてくれた歯科医院でしたね。
そちらの歯科医院で、どんなことを身に付けられましたか。
自費診療も保険診療も多くの経験を積ませていただきました。たとえ新人でも、患者さんが同意すればインプラントもできました。デンチャー、インプラント、セラミック、審美なども積極的に行っていましたよ。セミナーにもよく行きましたね。はじめのうちはがむしゃらに通っていましたが、そのうちセミナーの内容は、役に立つものと立たないものがあることに気づきました。その違いを見分ける眼をもてたことは、今では大きな財産です。
開業しようと決断されたいきさつはどんなことだったのでしょうか。
理路整然とした形で開業を決めたということでもありません。毎年、若い先生方が入職してきますので、私が出ないといけないかなと思うようになりました。そこで次のステップを考えたときに、開業という選択肢しかありませんでした。
開業地の選定の理由をお聞かせください。
ここは祖母が持っていた土地で、当時は駐車場にしていました。ですから診療圏調査の結果、決めたわけではありません。開業を決めたあとで、一応、調査をお願いしたのですが、「競合も多すぎるので、来患は1日2、3人」と言われました。「何とかなる」と思って開業したものの、最初は調査の通りでしたね(笑)。
設計のこだわりを教えてください。
勤務先の歯科医院が窓のないところでしたので、光に憧れがあり、窓を多めに取るように工夫しました。それから女性はブーツやサンダルなど、着脱が面倒な靴を履いたりしますし、お年寄りも靴の着脱がきつそうですので、土足で気軽に入れるようになっています。また、車椅子でも入れるような動線を作り、バリアフリーにしました。チェアは3台です。個室だと、待合室の様子がわからないので、半個室となっています。
資金調達はどのようになさったのですか。
自己資金を貯めていましたし、あとは国民生活金融公庫(当時)です。開業時はあれもこれも欲しくなってしまいますが、開業時の借金が大きいと、後々資金難で苦しむことを知っていましたから無理はしていません。医療機器は最低限のものを揃え、徐々に買い足していきました。
開業当初、スタッフは何人でしたか。
私、副院長である妻、歯科衛生士、受付、アシスタントの5人です。しかし、患者さんが少なかったので、一年で辞めていただきました。申し訳なかったです。私は「一から出直そう」と決心しました。もちろん妻のサポートがあってこそです。
患対策はなさらなかったのですか。
この近辺は歯科医院は充足されている地域です。ですので、人数を増やすよりも、自費を増やす取り組みから始めました。2007年から徐々に効果が出て、はっきり見えたのが2008年です。
【入れ歯・義歯治療歯科】
デンチャーに注力されるようになったのはどういういきさつがあったのでしょうか。
「入れ歯だと噛めない」という患者さんがいらっしゃり、インプラント治療をしました。私は満足していたのですが、患者さんが「いい入れ歯だったら、もっと良かったのに」と、おっしゃったのです。それがきっかけでした。私を含めて20~30歳代の若い先生は、デンチャーを避けてインプラントを薦める傾向があります。その理由は3つで、一つ目はデンチャーは習得に時間がかかる。二つ目は保険のデンチャーは不採算、自費でやってもうまくいくかはわからない。三つ目はインプラントをする歯科医師はレベルが高いという思い込み(笑)。そんな理由で若い先生はデンチャーよりインプラントを好みます。しかし、今後の高齢化社会を考えると、デンチャ―にニーズがあることは確かですし、患者さんはインプラントなしで済ませられるならそうしたいと本音では思っています。歯科医師の考えと患者さんの思いにギャップがあるのですね。だからといって、すぐにデンチャーを始めたわけではありません。私自身、上記の理由で「デンチャーに力を入れるべきか、他の歯科医院と同じように審美とインプラントをメインにすべきか」悩みました。そんな時「人が嫌がることにニーズがある」という言葉に背中を押されました。これは、私が高校生の時、母が教えてくれた言葉です。そこで「デンチャーで採算がとれるように仕組みを考えよう」と発想を変えました。
そしてBPSデンチャーに出会ったんですね。
私は優秀な技工士を探していました。そして後輩から森永純さんという素晴らしい技工士を紹介され、彼からBPSデンチャーの勉強会があると聞きました。BPSデンチャーはイボクラ社が開発したシステムです。私は名料理人の料理もレシピ化できると信じていますが、その意味でBPSデンチャーは歯科医師の誰もができるシステムです。経験や個人の能力差を埋め、初心者でも合格点のデンチャーが作れる素晴らしいシステムです。
具体的には、どういう点が従来のシステムと異なりますか。
印象採得と咬合採得を同時に行う点ですね。従来は印象と咬合採得を完全にわけていました。ここにエラーが起こる危険性があります。保険システムや大学教育がそのようになっているからやむを得ない部分もありますが、理想は、大まかに印象と咬合を同時に取る、次に細かく取る、さらに細かく取る、と徐々に精度を上げることです。日本地図を県→市→区→町という具合に徐々に細かく見るイメージです。こういう技術を持った歯科医師はいたのですが、システムにはならなかったんです。BPSデンチャーがそのシステムを可能にしたのです。
どのような手応えがありましたか。
相談や電話などが50件ほどあり、自費でもいいという声も少なくありませんでした。1カ月で10人ぐらいの患者さんの自費デンチャーを作りました。半年後にはBPSデンチャーでの症例数が全国1位になったようです。お金のことを言うのは気が引けますが、フル、パーシャル合わせて一人平均60万円。それだけで600万円。保険と合わせると1000万円です。「こんなにニーズがあるんだ」とびっくりしました。インプラントと比べるとたいした金額ではありませんが、インプラントはやってしまえばそれで終わり。
あとは何もありません。デンチャーは次がありますから、自費のリピートという経営的メリットもあります。それと診療圏の拡大というメリットもありました。歯科の診療圏は歩いて通える範囲ですが、神戸全域から来ていただけました。県外からいらしてくれる方もいます。後は娘さんやお孫さんがホワイトニングやセラミック、矯正をするケースがあります。デンチャーが入り口になって裾野が広がるイメージですね。
現在の自費率はどの程度ですか。
デンチャーは自費が80%で、保険が20%ですね。他の診療と合わせると自費が60%で、保険が40%です。一時はあまりに自費率が高くなってしまったので、あえて自費率を下げる取り組みをしました。自費に頼る経営は危険だと考えたからです。自費と保険をバランスよく行うことが経営的にも精神的にも最優先されます。ちなみに私は開業以来、自費コンサルをほとんどしていません。私が話さずとも、患者さんが自分で自費を検討する仕組みを作ることに注力してきました。自費率アップがうたわれる今でも、歯科医師にとって自費の話は抵抗がありますし、患者さんとの関係が気まずくなることもあります。勤務医にもストレスがかかります。しかし、「私の場合はどうでしょうか?」と問い合わせをしてきた方に答えを差し上げるのは話しやすいですし、勤務医も気楽に自費の話ができます。自費率アップなどと考えずに、気楽に話したほうが良い結果がでるんじゃないかと思います。
BPSデンチャーにも欠点はありますか。
咬合した歯肉の状態をもとに作成するので、開口時に違和感があることがあります。その点は昔からあるデンチャーの基本の技術を真面目に行うことで解消するしかないですね。基本知識に乏しかったら、改善は難しいです。ちなみに当院では調整ポイントは全てマニュアル化しています。見学に来た先生に「BPSをやれば何でも大丈夫ですか?」と質問されることがありますが、そんなことはありません。BPSは今まで時間をかけて習得していた技術を初心者が短期間で習得できるシステムです。あくまでベースであってゴールではありません。
嚥下の際に痛い思いをする患者さんの悩みも解決できますか。
患者さんは「噛めない」、「食べられない」とよくおっしゃいますが、きちんと訴えを聞くと、「痛い」場合が多いんですね。嚥下の際に舌が上がりますので、床縁の形が舌の動きと合っていないと痛みが出ます。閉口印象でないと嚥下時の舌の動きは印象できません。そういう意味ではBPSは日常生活で使えるデンチャーを作るためのシステムと言えますね。
技工士さんは常勤されているのですか。
技工士は立会いという形で来てもらっています。症例数があまりに増えたので、一時はほぼ毎日来ていました。技工士にとって診療に立ち会うメリットは、実際に口の動きを見てデンチャーを作れることです。技工士は石膏模型で作業するので、動きの感覚に乏しくなるようです。患者さんの口の動きをチェックする意味では一緒に診察する方が効率がいいですね。
インプラントはされていないのですか。
もちろんしますが、骨造成を必要としない安全なケースを選択して行います。なぜ安全なケースを選ぶのかというと、私は勤務の先生もインプラントをしてほしいと考えているからです。しかし、医院が何でもインプラントにするという方針だと、勤務医のスキルではできないことが多く、結果的に勤務医がインプラントの経験をつめません。後はデンチャーとの組み合わせが多いですね。
ホワイトニングにも力を入れていらっしゃるのですか。
ホワイトニングだけでなく、セラミックや矯正も行います。患者層は70~80歳代ばかりかと思われがちですが、実は一番多いのは40~60歳代です。まだ歯が残っている場合が多いので、せっかくだからきれいにしたいというニーズが高いのです。もちろん一般診療もします。
デンチャー治療に必要なことはどんなことでしょうか。
患者さんとの対話と優秀な技工士、そして技術です。他の診療と変わりませんよ。ただし、デンチャーの場合は対話の中から患者さんの心理を探ることが特に必要です。そして、この能力は保険診療や日常会話でも生きてくるはずです。
【経営理念】
経営理念をお聞かせください。
経営理念というより生き方ですが、私が大切にしているのは「タイム、マネー、プライド」です。いくらお金があっても時間がなければ楽しめない。またいくら時間があってもお金がなければ楽しめない。お金と時間があっても、自分が誇れるものをもっていなければ、人生はつまらない。全てをバランスよくもつことが大切だと考えています。
【診療方針】
診療方針が「最高の歯科治療を提供する」から「その人にとって最適な歯科治療に提供する」に変わったのはどうしてですか。
デンチャーに移行していった流れと同じです。私は若い頃に積極的にセミナーに出向き、勉強を重ねたことで、歯科医師として自信をもちましたが、天狗にもなっていたんですね。私に限らず、
若いときに技術の習得に走った歯科医師は皆、 そういう面があると思います。「最高の歯科治療」というのはあくまでも歯科医師サイドの理想です。患者さんは歯の治療のために生きているのではありません。保険診療であっても、自費診療であっても、満足したいのです。そこで患者さんサイドに立っての「最適」を追求するようになりました。結果として、そういった私どもの姿勢が自費の伸びに繋がっているようです。
【増患対策】
増患対策について、お聞かせください。
情報発信こそ最強の増患対策と考えています。今は東京のコンサルタント会社と提携しています。歯科関係ではありません。ホームページの管理や強化、広告管理だけでなく、広告予算の管理なども手伝ってもらっています。また、費用対効果などの分析やデータの洗い出しを行っています。2011年春に法人化を予定していますので、その際にホームページも一新し、増やす予定です
【スタッフ教育】
現在はスタッフがいらっしゃるのですか。
大学を卒業したばかりの女性を事務スタッフとして採用しました。採用の決め手になったのは、新卒ですから歯科業界を経験しておらず、素直に業務に取り組んでくれそうだったことですね。不景気でなかなか就職が決まらない彼女の姿を見て、「幸せになってほしい」と思ったのです(笑)。今はデータベース作りを頑張ってくれています。
【今後の展開】
2011年春に法人化する予定のほか、兵庫県内に分院の展開を考えています。現在、商圏を分析しているところです。 また、分院の展開を通して、歯科医師を育てていく仕組みを作りたいと思っています。人を育てて、育ったら、「ところてん」のように出していきたいですね。私がスターにならなくてもいいので、若い歯科医師に活躍してもらい、開業したいのであれば良い開業ができるように、挑戦を促したいです。
【開業に向けてのアドバイス】
歯科は感謝されて、お金をいただける仕事です。「ワーキングプア」など暗い話題ばかりの歯科ですが、明けない夜はありません。真面目に歯科に打ち込めば、きっと結果はついてきます。
20代の過ごし方はとても大事です。歯科医師としての技術がぐんと伸びる時期ですので、勤務医時代にセミナーや勉強会に参加して、頑張ってほしいですね。車を買うのもいいですが、勉強にお金を使っていくことも大切ではないでしょうか。そういった場に頻繁に出席するようになると、偉い先生方からセミナーでは聞けなかった裏話なども聞くことができます(笑)。成功例より失敗例の方が参考になりますし、開業後も役に立ちます。一つのことを頑張れば、次の扉が開くはずです。ただ、矛盾するようですが、「技術にはまりすぎるな」ということもお伝えしておきたいですね。
【プライベート】
趣味は海外旅行で、年に4回から6回ぐらい行っています。行き先は主に香港、マカオ、中国、韓国で、長期休暇はヨーロッパですね。アジアが多いのは食べ物が美味しいからです。それからクリニックの装飾品の買い付けなどもしています。海外旅行でリフレッシュしますと、いつもは感じない日本の良さを再認識できますね。 普段は本屋さんにいることが多いです。基本はビジネス書を読んでいまして、クロネコヤマトの宅急便を作った小倉昌男さんの『経営学』が座右の書です。個人向けの宅配は「どこからどこまで運ぶか」、お客さんに会ってみないと分からない仕事です。そのためコストが計算できず、「赤字になる」と誰も参入しなかったので、郵便局の独占事業になっていました。そんな無謀な個人向け宅配を事業化したストーリーです。私がデンチャーに力をいれた経緯と似ていませんか?何回も読み返しているので、ぼろぼろですが、私にとっては最高の指南書です。