歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
医療法人社団 京和会 梅田 和徳 理事長
東京都・世田谷区三軒茶屋―。
渋谷KU歯科は、かつてトレンディドラマの舞台にもなった場所にある。若者文化の流れを汲んで分化の匂いを色濃く漂わせる三軒茶屋には著明な文化人が集う場所が少なくない。「診療圏は世界中です」。自信に満ちた笑顔で語る京和会グループの梅田和徳理事長は若干39歳。1996年に歯科クリニックを開業してわずか10年余りの間に歯科経営におけるトップランナーの地位を築いた。歯科診療の柱の1つは総合歯科診療。従来の対症療法にとどまらず、根本治療を徹底することで多くの患者様の支持を集めている。インプラント治療、審美歯科、一般歯科診療いずれにおいても日本の歯科診療をリードする次代のエースである。
医療法人社団 京和会 梅田 和徳 理事長
プロフィール
- 1970年 新潟県 生まれ
- 1994年 日本歯科大学 卒業
- 1994年 医)弘進会 勤務
- 1996年 梅田歯科 開院 現 世田谷KU歯科
- 2000年 医)京和会 設立 同法人理事長 就任
- 2000年 渋谷KU歯科 開院
- 2002年 東京予防インプラントセンター三軒茶屋 開院
- 2003年 世田谷矯正歯科相談センター 開院
- 2004年 東京予防インプラントセンター渋谷 開院
- 2005年 青山KU歯科 開院
- 2006年 E歯科南品川 開院
- 2008年 成城学園KU歯科 開院
開業に至るまで
歯科医師を目指された経緯についてお聞かせください。
高校3年生のとき、遠い親戚の歯科医に自分の治療を受けたことがきっかけでした。
通院するなかで歯科医療現場を見る機会が多くなり、その親戚の歯科医との関係が密接になってきたのです。そうすると、ストレスを抱えた患者様に接する歯科医というものは、治療の過程に喜びや苦しみを一喜一憂する躍動感を肌で感じられる職業なのだと思った訳です。
自分が患者として歯科医の働き振りをみて、心が揺さぶられたということでしょうか。
学生生活は、充実した日々を過ごされたことと拝察しますがいかがでしたか。
歯学部は文系学部に比べると専門に特化しているし、クラブ活動もしていましたので、想像以上に拘束時間が長かったのです。文系学部の場合は、勉強や遊びの中で人間形成をするところが大きいと思いますが、狭い人間関係にならざるをえないところがあり、また世襲が多い世界なので、私のような自営業の家の息子としては、どのような6年間の過ごし方をしたらいいかと考えた時にクリエイティブな企画会社を立ち上げました。
実はもともとがマスコミ志望だったので、そちらの欲求をこの会社で満たしてみたかったこともあります。
大学以外のところに人間関係を求めて他大学の学生と交流を持つことで、母校の学生生活とは違った人間関係を肌で感じました。意識的に幅広い人間関係を築きたいと思って始めたことですが、そこでの経験は社会人になってからも多いに役立っていますし、忙しい中での時間の使い方も身に付いたと思います。
独創的な歯科経営をされている先生は6年間の中で培った人間関係や体験が今に生きているという印象をうけます。
そうですね。イベント企画会社では、学生の身分でありながら一流企業の方とお会いする機会もあるので、名刺の渡し方から企画書の作り方、言葉遣いも勉強しましたので専門に特化した歯科知識の他にも、社会に出る準備も出来ていたように思います。
小学校から高校まで野球をやっていまして、ピッチャーだったのです。ピッチャーというのは投げて打つチームの中心的存在ですが、マウンドでは孤独です。野球というと団体スポーツを想像し勝ちですが、実際は個人スポーツの要素がすごく強いのです。それで本当の意味での団体スポーツがやりたくてアメフトをやりました。高校のクラブ活動にアメリカンフットボール部があるところは少ないのでレギュラーになれる確率も高かった(笑)。
ポジションですか?相手選手の進路を阻むタックル専門のポジションです。だからオフェンス(攻撃)のときはボールには触れません。ボールに触れるのはディフェンスのときだけ。タッチダウンなんて絶対にできません。アメフトは分業制が確立していて私のポジションですら、パソコンで相手チームのフォーメーションや作戦を分析しながらプレーするスポーツです。ですから各人が役割を完璧にこなさないとチームとして機能しません。そういう意味で究極の団体スポーツと言ってもいい。ピッチャーをやっていた人間がいきなり縁の下の力持ちの役割を与えられたわけでフォアザプレーに徹しなければなりませんでしたが、それは現在の私の立場からすれば大きな経験になっています。
ご自身の歯科診療の未来像はいつ頃から描いていたのですか。
5年生頃に、イベント企画の企業活動を通じて社会で活躍しているさまざまな職業の方と知り合う機会を得ましたし、会社の規模も大きくなり、一部上場企業の広報の方や芸能人との繋がりも多くなってきたので、この人脈を生かした当時は言葉として定着していなかった審美治療に重点をおいた歯科医院なら自分の力を発揮できるのではないかと考えるようになりました。
それで医療法人社団弘進会系列の歯科診療所に勤められたのですね?
弘進会は一般的な対症療法的な治療を行うのではなく、 “患者様の駆け込み寺”的存在で、全国から患者様を集めていました。私の求めるものがあると思い、2年間勤め、その間、当時の理事長に可愛がっていただき、右腕として寝食をともにするような生活を送りました。学生結婚だったので家庭も築いていたのですが、ほとんど顧みることがなかったですね。
しかし、非常に凝縮された2年間を過ごしました。理事長は80歳を超えてなお弘進会グループの6つのクリニックを巡回し精力的に治療をこなしていました。理事長が治療する大きなケースの患者様の治療をさせてもらえたのは大きな財産になっています。
貴重な言葉もたくさんいただきましたが、一番影響されたのはトップに立つ人間が最もよく働く姿でした。人間は誰でもよい仕事をしたい、よい生活をしたいという欲があります。上昇志向と言い換えてもいいのですが、そういう欲がなければ進歩もありません。しかし、努力しないで夢や希望はかなえられない。楽して稼ごうという姿勢はまったくなかったです。
私も理事長にならって、たとえばインプラントの治療技術を取得するために、休日を費やして他院で勉強しました。当時、インプラントはエビデンスも少なく端境期を迎えていましたが、私は必ずニーズの高い治療になると思っていました。
開業しようと思ったときのコンセプトはどのようなものだったのですか。
はじめから現在のような歯科グループの経営者になるという目標はたてていませんでした。
歯科医師としてのスタイルは理想としていましたが、経営者として中規模な形にまですることは考えていませんでした。
今の形をやっていられるのは、大きな法人での勤務医の時代があってこそだと思っています。理事長から中間管理職である院長・副院長、同僚、技工士、自分より年上のベテラン衛生士との付き合い方や、勤務する立場からの思いなどを経験できたことが大きいですね。
診療は一人ではできませんからね。
その経験を生かして現在の運営に取り入れています。
最初のクリニックは三軒茶屋駅から徒歩4分のところに開業しましたが、16、7年前は三軒茶屋を舞台にしたトレンディドラマが放映されたりして、日本中どこに住んでいても、東京の地理をある程度知っている人なら、国道246号線添い、世田谷区の三軒茶屋といえばおおよその場所は誰でもわかります。クリニックから半径何キロ以内を診療圏に、という考えはまったくなく、とにかくわかりやすい立地で、治癒をめざし美しい歯、オーダーメイドの歯科診療を望んでいる目的意識の高い患者様が全国から受診しやすいという条件で選んだのが世田谷区の三軒茶屋でした。
ですから、開業する前に三軒茶屋に近い下馬に引っ越して自分なりのマーケッティング・リサーチを行い、「ここならできる」というある程度の確信をもって開業しました。
開業立地としての貴重な条件をお聞きできたように思います。
強い目的意識をもった患者様を全国から集めたいと思ったら場所は重要な要素ではありません。ただし、1つだけ条件があって、それは10秒以内で簡潔に場所をイメージさせることができる場所であることです。それが口コミでクリニックを有名にするコツといえるでしょう。ですから京和会の歯科クリニックは5軒すべてそういう立地条件で選んでいます。
経営理念
開業以来の経営理念についてお聞かせください。
1つは総合歯科診療です。歯周病だけで完結する患者様、矯正治療だけで完結する患者様、インプラントだけで完結する患者様といったように1つの専門治療だけで完結する患者様はほとんどいません。患者様の多くは歯周病が進行して噛み合わせも悪い、虫歯もある、不適合なブリッジが入っている・・・。
さまざまな病態が混在したお悩みを抱えている方が大部分を占めています。身体科でも多くの患者様はいくつもの合併症をもっている方が少なくないように歯科受診者も複合した病態を抱えています。そうした患者様を診るときには、専門医の力を結集したゼネラリストの立場から診療を行う必要があります。日本の歯科医院が単独の歯科医で運営されており、一般歯科として1つの悩みを解決することだけのクリニックがまだ多いと思うのです。
大学病院とは違った専門的な歯科治療を総合的に網羅し、患者様それぞれのニーズに合わせて診療を提供できるような体制の歯科治療における民間総合クリニックであること、それが私の考える総合歯科診療ということなのです。
もう1つは、原因の根絶を図ること。なかなか完璧に根絶は難しいがゴールを目指すことが第2の柱になっています。そのためには、障害された歯だけでなく、患者様の歯だけを診るのではなく、顔全体の骨格から生活習慣まで診ることが大事です。今あるトラブルだけを改善する対症療法は、出血の原因を解決せずに絆創膏だけ貼るようなものです。
絆創膏を貼る治療だけで満足してしまう患者様に対しても、原因を治さないと根本的な治療にはならないことをきちんと話せる説明力が歯科医の力量です。これからの歯科医は、症状出現以前からある口腔内の異常を発見し、それを治したり改善させることの重要性をきちんと説明できなければなりません。
京和会グループは何軒の歯科クリニックを運営されているのですか。
直営は5軒ですが、協力している歯科クリニックは全国に30軒あまりあり、中国でも5軒の歯科クリニックと提携しています。
直営歯科クリニックの医師は、ゼネラリストとして診断と治療計画をグローバルに診ることのできる教育をしてありますので、その上でセカンドスペシャリティをもっている先生方です。さらに診断的・治療的に難しい患者様の場合は、私のもとに5分以内に患者様の詳細なデータが送られてくるので、世界中どこにいても相談の上で診断・治療方針を決定します。
診療方針
当初から取り組んでおられた京和会グループのインプラント治療についてお聞かせいただけますか。
インプラント埋入本数は2000年初頭、1年間に100本程度でしたが、年々増加して現在では年間800本以上です。トータルでは5000本を超えているでしょう。
私たちが治療を行う上で最も重視しているのがエビデンスです。他の医師から聞いた治療法はエビデンスレベルとしては低く、論文として専門雑誌に掲載された治療法は比較的エビデンスレベルは高いといえます。そして、もっとも信頼できるエビデンスは自験例の成績であり、自験例が多いほど信頼できるエビデンスになります。
自験例の成績で99%以上の成績を残しているので、自信をもって患者様にすすめられるようになり、それが飛躍的にインプラントが伸びた理由です。私たち京和会グループの歯科診療技術の進歩と確固たるエビデンスとの相乗効果でインプラント埋入本数が伸びたといえます。
患者様のニーズはかなり多いのでしょうか。
昔は50代の患者様が主流だったのですが、近年は20~30代の患者様がほとんどです。
欠損の多くは両側遊離端の義歯からインプラントへの移行がほとんどでしたが、上顎もインプラントにして欲しいという要望が高まってきまして、しかし、上顎は骨量や上顎洞の関係で難しい部位なのです。ご期待に沿えるように勉強し、上顎のインプラントもご要望に応えられるようになったら、今度は前歯もと患者様の要求はグレードアップしてきます。
特にアジア系の前歯は骨も薄いし、歯肉も痩せている。前歯のインプラントは歯肉をきれいに扱う技術がなければ審美的に難しいです。この課題にも挑戦しクリアすることが出来たことで、若い世代の患者様のニーズも増えた要因であると思います。
勿論、過去に行ったインプラント治療のアフターフォローやトラブルの対応にも十分に配慮しています。
また、複数のインプラントシステムを採用していますが、それらのシステムは世界中どこに行かれても対応可能なメジャーシステムです。
今、京和会でのインプラントのサバイバルレートは99.60%(上顎98.62%、下顎100%)です。
確かなエビデンスによる自信と実績が、多くの患者様を惹きつけていると実感しています。
1日に6ケースのオペをされたこともあると伺いましたが、それだけのオペをこなす秘訣は何でしょうか。
術後の不安定な状態が年末年始の休みにかからないようにと配慮した結果のことで、さすがに14年間で最多でした。
一般的にかかったオペ時間のことを取り上げると、器用だとか手が早いとかを取りざたされますが、技術以前の問題だと考えています。私個人が1人でできる範囲は限られています。どんなに優秀でも物理的に不可能なことはいくらでもありますが、診断と治療計画を正確に立案し、迷いなく想定した範囲内で治療を終えることができるかが重要なのです。
なぜ、それができるのか。事前に患者様情報を詳細にとるからできるのです。3次元CTで正確に診断する、抜歯のときにインプラントを想定して骨のリモデリングを活性化させるような治療を行うことです。つまり、抜歯した後に補綴物を考えるのではなく、抜歯をする前にどんな補綴物を入れるかで骨の状態
を意図的に完璧な状態になるように、抜歯の際に血流を改善させて骨芽細胞の産生を促します。これは私たちのインプラント治療の最も大きな要素の1つです。
事前の情報をできるだけ多くとって、無駄のない治療を円滑に行い、手術時間を短縮するための技術を磨けば不可能と思われる手術件数をこなすことができるのです。外科医の中にも神技のような手術を行う医師がいますが、そのように評価される医師たちも、おそらく事前の準備を誰よりも詳細に行っているのではないでしょうか。結果的に患者様に負担の少ないオペになります。
審美歯科についての先生のお考えをお聞かせください。
歯を白くするだけが審美歯科ではありません。個々の患者様の顔だち、骨格にふさわしい美しい歯を創造することが審美歯科です。その結果、すてきな笑顔になる、表情が豊かになるというところまで考えるのが審美歯科だと思っています。
そのためには1人1人の患者様の顔や話すときの表情を観察してオーダーメイドの治療を行うことです。人間の顔は左右対称でありませんから、歯一本の治療でも顔全体をみてバランスのよい歯をつくることが必要なのです。
増患対策
増患対策についてお聞かせください。
ただ単に患者様が増えるよりも、目的意識をもって、ご自身のライフスタイルの中で患者様が自身の歯をどうしたいのかという考えを明確にして受診される方が増えることの方がうれしいですね。
おかげさまで日本だけでなくパリから予約の電話が入ったり、世界中から受診していただいています。そういう患者様が増えれば増えるほど私たちも、患者様のニーズに応えようと努力します。私たちと患者様の関係が相乗効果となってさらによりよい歯科医療を提供する礎になるのではないでしょうか。
スタッフ教育
スタッフ教育はどのように行っているのですか。
私ひとりではできないことも優秀な医師が集まればできるようになります。そのためには教育はきわめて重要です。人を教育する上でまずおさえておくべきことは、相手の力量とパーソナリティを把握することです。教育を受ける方の資質に応じた方法が必ずあります。画一的にならずに、歯科治療と同じように個々の先生の資質にふさわしいオーダーメイドの教育を心がけています。もちろん、京和会の基本的な理念、コンセプトを身につけた上でのことですが・・・。
京和会全体として医師数は12名、他のスタッフも合わせると35名ほどになりますが、スタッフには患者様と治療以外の会話をできるだけ多くしなさいと言います。これは患者様と親しくなって距離感をなくすということだけでなく、日常の会話の中から生活習慣など患者様の背景を知ることにつながり、それは治療にも役立つ情報になります。歯科衛生士は担当制で1人の患者様に対して最後までお付き合いするので、患者様との距離間をなくすことはとても重要だと考えています。
今後の展開
今後の展開でお考えになっていることはありますか。
>2009年6月に、志を同じくする80名ほどの若手歯科医師の組織「ing(イング)」を立ち上げました。これは経営のスキルと歯科診療技術を高めて次代の歯科医のあり方を追求する会です。具体的には「ゴールが見える」治療を目標に掲げ、治療行程の不透明さをなくし、費用や通院回数の「治療計画書」を明示して安心して通院できる歯科クリニックを目指そうというものです。定期的な治療方法の勉強会で情報を共有し互いに技術を鍛え合っています。
開業に向けてのアドバイス
どんなビジネスにも共通していることですが、余人に代え難い特徴をもったクリニックになることです。インプラント技術に特化するのでもいいし、深夜診療を行うことでもいい。人には向き不向きがあります。インプラント治療で優れた技術を誇れなくても、他の領域でトップを目指すことはいくらでも可能でしょう。いずれにしても、他ではやっていない特徴をアピールしてそれに磨きをかけることが開業する上では最も重要なことです
プライベート
拘束時間の長い仕事なので、たとえば講演旅行のときに家族サービスをかねるといったように、できるだけ効率的に遊ぶようにしています。私は外国にもよく行きますが、ガイドに頼るというのは好きではありませんので、どこへでも1人で行ってしまいます。1人で歩くと、ととても印象深い旅ができるので、ツアー旅行はしたことがありません。1人で、ときには家族と旅行をしてその土地の旨いものを食べる。プライベートの楽しみといったらそんなところでしょうか。
あえてストレスというと、時間が足りないことぐらいです。