歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
医療法人社団 敬親会 川口 正敬 理事長
医療法人社団敬親会は、相模原市を中心に5軒の医院を擁する法人である。本院の小山歯科医院はJR橋本駅と町田駅を結ぶ国道沿いの在日米軍補給基地近くにあり、医院の前には小学校が、背後には住宅地がひろがっている。1996年の開業以来、着実に患者数を増やし、今夏ついに都内に進出する予定でもある。今、ノリにノっている川口理事長にお話を伺った。
医療法人社団 敬親会 川口 正敬 理事長
プロフィール
- 1965年、神奈川県川崎市生まれ
- 1990年、神奈川歯科大学歯学部卒業、口腔外科入局
- 1992年、大船中央病院勤務
- 1996年、小山歯科医院を開業
- 1998年、医療法人社団敬親会設立。相模原It’sデンタルクリニック開院
- 2000年、橋本おとなとこどもの歯科医院を開業
- 2004年、羽村ステーション歯科クリニックを開業
- 2005年、古淵おとなとこどもの歯科医院を開業して現在に至る
キッカケは車好き
いつ頃歯科医師になろうと思われたのですか?
「私の実家は整骨院を経営していましたけれど、叔父が歯科医師をしていました。しかしそれがキッカケというわけではなく、実際のところ、歯科医師になろうと思ったのは高校生になってからです。 当時通っていた高校はなぜか歯科医師の子供がゾロゾロ通っていた学校で、友人の家に行くとみんながみんな、家の駐車場にベンツやBMW、ジャガー、アルファロメオなんかの高級外車が停まっていたんです。ちょうど車に興味を持ち始めた頃だったので、『歯医者っていうのはこんなに儲かるのかぁ!』『歯医者っていうのはいい暮らしをしてるんだなぁ!』と驚いて、『それなら自分も医者になって、高級外車を乗り回してやろう!』と思ったのが本当のところです」
その後、神奈川歯科大学に入学されたのですね
はい、成績はウニャムニャ・・・、卒後は大学の口腔外科に残りました。とにかく臨床をやりたかったというのもありますが、自分の性格にもあっていたようです。ちょうどその頃、現在使われているインプラントの実験段階のものが使われ始めた時期で、運良くその臨床チームに入ることができました。やればやるほど、その将来性が非常に高いことがわかってきましたので、これをメインにした医院をやれば儲かるぞと密かに考えていました」
それがあって開業を意識されたのですか?
「もともと30歳を過ぎて、勤務医を5~6年やったら開業しようと決めていました。そこでまずは咬合を専門にやっている医院へアルバイトに行き始めました。インプラントを長く持たせるためにはどうしても咬合が重要になると考えたからです。ですから将来開業する際には、インプラントと咬合を組み合わせた医院にするのが理想でした」
経営理念
経営理念はどのようなものですか。
こういう経営をしたいと特に考えているわけではありません。患者さんに真摯に向き合っていれば、結果的に経営にもプラスになると思っています。あまり経営という面にとらわれてしまうと材料などにも歪みが出てきそうです。それは患者さんのためになりませんから、あくまでも患者さんに誠実でありたいです。
理想の開業
開業地をこちらにしたのは予定通りだったのですか?
当初はもう、預金どころかお金自体、影も形もありませんでしたからね。資金目標を2,000万円にして、開業資金を稼ぐために、それはもう日曜日から土曜日までバイトをしまくりました。それでも不思議と、「疲れた」とか「もういいや」ということは感じませんでしたけど。
結局、自己資金を1,600万円、銀行からの借入で1,500万円、合計3,000万円ほどを集めることができました。正直、当時の都市銀行が保証人もいない自分になぜ融資してくれたのかは、いまだに謎です」
資金集めには苦労されたようですね
「当初はもう、預金どころかお金自体、影も形もありませんでしたからね。資金目標を2,000万円にして、開業資金を稼ぐために、それはもう日曜日から土曜日までバイトをしまくりました。それでも不思議と、「疲れた」とか「もういいや」ということは感じませんでしたけど。
結局、自己資金を1,600万円、銀行からの借入で1,500万円、合計3,000万円ほどを集めることができました。正直、当時の都市銀行が保証人もいない自分になぜ融資してくれたのかは、いまだに謎です」
そしてオープンですね。
「平成8年7月に小山歯科医院をオープンさせました。オープン初日の患者数は10人で、おっ、結構来るもんだ、というのが率直な感想でした。スタッフも3人だったので、ある程度まで患者さんが増えても対応できるなと考えていたんですが、それから毎日どんどん患者が増えてしまって、1年後にはMAX70人前後の患者さんを一人で捌いていました。
当然、スタッフもてんてこ舞いで、最初は求人をかけても場所が場所なだけになかなか集まらない。で、仕方なく奥さんに頼んで手伝ってもらいました。普段、顎で使われていたので、これ幸いと朝から晩までこき使いましたけど、その後どうなったかはノーコメントにさせていただきます」
増患対策
増患対策に相当力をいれていらしたのですか?
「何もしていません(キッパリ)。正直言って、なんでこんなに来ていただけるのか、自分でもよくわからないんですが、あるとすれば口コミでしょうか。恋愛と一緒で、患者さんと両思いになったのが良かったのかなと思います。特にすごい医療を提供したというのではなく、学校で習ったことをきちんとやっただけです」
分院展開
2年後には分院をたちあげられていますね。
「当初、小山歯科医院の方が好調だったので、医師を増やすか、分院をたちあげようと思っていました。ちょうどそこに大学の後輩が訪ねてきまして、雇ってくれないかと頼まれました。どうしようかと考えていたところ、JR相模原駅の駅ビルにテナントが空いているという情報が入ったんです。
それなら保険診療は本院で、自費を分院でと住みわけて、後輩に本院を預けて、自分は自費の方を担当して自分の理想とする医療をしよう、と思いきって分院を立ち上げました」
しかし本院からは離れられなかったんですね
「分院ができると告知したところ、開業当初から来ていただいている患者さんたちから本院にずっといてくれと懇願されてしまいました。『理想の医療をさせてくれぇ!』と心の中で叫んでみましたが、結局患者さんたちにおしきられる形で本院に残ることになり、分院は後輩に頼むことにしました」
その後、3軒の分院を立ち上げたのですね。
3軒目は大学の同級生が、4軒目はバイトしていた頃に知り合った勤務医が、5軒目は大学の後輩が分院長をしています。 彼らはみんな、どういうわけか『○○さんの紹介で来ました』と言って押しかけてきたんです。中には『そんな遠くから通えるのか?』と聞くと『通えないので、通えるところに分院をつくってくれ』と大真面目で言うとんでもない奴もいましたよ。 まぁ、みんな優秀でしたし、方向性も一緒だったので、これを機会にグループ化するのもいいかと思って、金もないのに、ほとんどいきあたりばったりで立ち上げちゃいました」
当然スタッフも募集されたわけですね。
「スタッフも、同じようなパターンで紹介されてくるケースが非常に多いんです。分院をつくるという話が広まると、長く勤めていただいた後に退職された昔のスタッフから連絡がきて、『新しくできる分院の近くに私の友達が住んでるから紹介しましょうか?』ということが結構ありましたね。『△△さんに紹介されたんですけど』と言ってこられる方が次々に来るのですが、あまりにも多いので選ぶのも大変です」
スタッフ教育にも力を入れてらっしゃるのですか?
「一応、接客業ですから、きちんと患者さんとコミュニケーションできる方を採用していますが、それ以上、どうこう言うことはありません。手抜きというのではなく、採用した後、その人がどういう長所を持っているかを見て、こんな仕事をさせたらもっと伸びるんじゃないかと判断して、方向性を与えてやるわけです。うまくいけばそれでOK、ダメならまた別の手立てを考えてあげる、ということを繰り返しやっています」
東京進出
今夏、とうとう東京進出ですね。
「はい、品川にあるホテルの中のショッピングモールが医療モールに生まれ変わることになりまして、そこに開院することが決まりました。もちろん自費100%、やっと自分の理想の医療ができます」
インプラントや審美歯科ですね。
「医療モール自体のコンセプトが『アンチエイジング』ですので、それに沿ったかたちで事業展開していこうと計画しています。最近では『アンチエイジング』という言葉も多くの方に認識されているので、女性を中心に需要が見込まれます。ホテル併設ですからメディカルツアーなどの企画にももちろん参加したいですね」
開業に向けてのアドバイス
開業に向けてのアドバイスをお願いします。
「最近、新聞や雑誌などで歯科医院がコンピニよりも多いという記事を見ることがありますが、実際、これだけ多くなってしまうと患者さんの取り合いになってしまいますし、ニッチでさえいっぱいいっぱいですから、もうこうなったら行政を変えるしか生き残れないじゃないでしょうか。しかも最近は基本がおろそかだったり、理想が高すぎる人が多いように思います。 それでも開業したいというのでしたら、まずは基本。基本に忠実に診療して、患者さんから信頼される歯科医師になれば生き残れるかもしれませんね。それから実際に開業すると、思ってもいなかった多くの問題が出てくるものですが、頭を切り替えて楽しむような心構えも大切ですね」
プライベート
「それはもちろん、車です。もともと運転するのは好きだったんですが、開業して医師会に入った時に同窓の先輩がいまして、その先輩が軽の草レースに参加していたんです。
たまたまレース会場に遊びに行って運転させてもらったら、その先輩よりもいいタイムを出してしまってハマりました。その後、医師会でもレースにハマる先生方が増えてしまって、みんなで車屋にいりびたりです。
最近はさすがに忙しくてなってなかなかレースに参加できませんでしたが、4月に富士で、6月に鈴鹿で完走しています、まだまだ現役ですよ」