歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
りょうき歯科クリニック 領木 誠一 院長
今月ご紹介するりょうき歯科クリニックは大阪府東大阪市に位置する。最寄り駅は大阪市営地下鉄中央線の高井田駅、JR学研都市線の放出駅と、広い範囲の集患が望める立地である。りょうき歯科クリニックでは「患者様満足度を高めるために、患者様側に立った医療サービスを常に追求する」ことを理念として、日々の診療にあたる。そこで2002年にはISO9001を取得し、患者様満足度を図る客観的な指標を得た。これは歯科業界ではまだ珍しい取り組みであり、領木誠一院長の意気込みを感じられるものであろう。
「バランス感覚のある人材を養成していきたい」と語る領木院長にお話を伺ってきた。
りょうき歯科クリニック 領木 誠一 院長
プロフィール
- 1962年に大阪市で生まれる。
- 1988年に城西歯科大学(現 明海大学歯学部)を卒業後、勤務医、分院長などの経験を積み、1993年にりょうき歯科クリニックを開設する。
- 2002年には歯科ネットワーク会代表、日本先進技術歯科センター副センター長に就任する。
- また2003年からは新大阪歯科衛生専門学校非常勤講師を務めるなど、教育の分野にも活躍の場を広げている。
開業まで
領木院長は小学生の頃、古墳などの日本史に興味があり、考古学者になる夢を持っていたそうだ。ところが、中学2年のときにある友人と出会ったことでその夢が一転する。
その友人は東大医学部を目指していました。彼から医学や医療の話を聞くうちに、私も医師か歯科医師になりたいと思うようになったんです。医学部か歯学部にするのかという選択には迷いがありましたが、歯科医は早く独立できることが魅力の一つだと考え、歯学部に行くことにしました。
大学卒業後は東京の歯科医院に勤務することになっていたが、お父様が急に亡くなり、帰阪することになった。八尾市の森川歯科医院で勤務医として過ごし、4年目にはある歯科診療所の分院長を任される。
森川歯科医院で学んだことは主に患者さんとのコミュニケーションについてでしょうか。そして分院長の経験から得たことは、経営者の立場に立てたということだと思います。そこは古い診療所で、器材なども古かったのですが、私はあえて設備投資を行いませんでした。器械が古くても、患者さんとの信頼関係さえあれば、来院して頂けるという確信があったんです。この時期は独身で、実家から通っていたこともあり、経済的には一番良かった時代ですね(笑)。
分院長としての経験は開業にあたっての大きな武器になった。一方、JCに入会し、異業種交流も活発に行うようになったという。りょうき歯科クリニックの開業地もそうしたJCでの交流で紹介された物件だった。
開業にあたり、テナントとして入居するのか、土地から選ぶのかについてはいろんな考えがありますが、この土地は生活圏や労働環境などを考慮しても良い立地でしたし、なおかつ歯科医院としての立地条件も申し分ありませんでしたので、すぐに決めました。バブル崩壊直後のことでしたが、1億円以上の開業資金を必要としました。周りからはリスクが高すぎるという反対の声もありましたね。
開業当初、チェアは3台であったが、当初から患者さんの足が途絶えることはなく、順調に増患していった。昼休みの2時間も満足に取れないほどだったという。
角地ということもあり、目立っていたのでしょうか。告知はスタッフ募集のときに出した程度で、広告としては看板を出したぐらいですけどね。当初は自宅をクリニックの2、3階部分に設けていたのですが、日曜日もクリニックに降りてきて、カルテチェックをするなど、時間に追われていました。
りょうき歯科クリニックは開業して3ヶ月目で常勤医師を入職させた。ほとんどの歯科医院が1~2年後であることを考えれば、急速な増患だったのであろう。
待ち時間が長いというクレーム解消のためでしたが、まだ医師を雇用するシステムや労務管理が整わない時期でしたので苦労もありました。しかし身体的には楽になり、クレームも減りました。「院長に診てほしかったのに」という別のクレームはありましたが(笑)。勤務医の教育には精神的疲労を伴いますが、他人の力を借りることを選択した以上はその疲労を克服していかなくてはいけませんね。
技術を学ぶ
領木院長は開業して6年は自分の技術を磨くことを目標にした。3年目を終わる頃には院長を含め、3人の歯科医師がおり、体制に余裕が出てきたそうだ。96年に阿部晴彦ドクターコースを修了する。阿部先生は阿部総義歯研究所所長であり、デンチャー専門医である。97年には藤本順平ドクターコースを修了する。藤本先生はアメリカのフロリダ大学元臨床教授であり、咬合クラウン・ブリッジの専門医である。98年にSJCD歯周補綴臨床コース、ITIインプラントコース、99年にブローネンマルクインプラントコースを修了した。日本顎咬合学会認定医を取得したのも99年のことである。
当時から日本一の歯科医師になりたいと思っていました。トップレベルの専門医の指導を受け、様々なところに見学に伺い、テクニカルスキルを磨いた時期ですね。ただ、日本でトップレベルのスキルをお持ちの専門医の歯科医院に見学に行ったときに、ほとんどのクリニックは患者様も多く、自費率は高いのですが、ごく一部のクリニックでは、意外に患者さんが少なく、スタッフの定着率も低いのを見て、「歯科医師は腕だけではダメだ、経営も勉強しないといけない」ということに気付かされました。
経営を学ぶ
1975年に日本大学歯学部を卒業後、既に千葉県松戸市内に日本大学松戸歯学部附属病院が開設されていました。建物も綺麗で設備も整っていましたし、沢山の患者さんが来院していましたが、新設間もない病院のため勤務歯科医師の数がまだ少ないということで、自動車部の先輩から声をかけられ、当時、聞きなれない名前であった“口腔診断科”に入局しました。入局後は、特に患者さんが多く、初診患者さんの急性症状の緩和、抜髄、抜歯、小児う蝕の洪水のような日々。まるで開業医と同じような多くの臨床経験ができた上、大学の先輩たちが多く勤務する付属病院ですから、他科へも自由に出入りできたのを活かして、先輩たちの教えを頂く機会も多かったと思います。
差別化を図る
領木院長が他院との差別化に際し、看過できないとしているものの一つが自費率の向上である。現在は院長を除いたスタッフのみで30%から40%である。そこで取り組むべきは若手の歯科医師への教育である。
若手への教育に関しては三本柱をコンセプトにしています。まずはテクニカルスキルの向上ですが、これができても三分の一人前ということです。次にヒューマンスキルの向上で、自己マネージメントを行ってもらい、最後にコンセプチュアルスキルを向上させてリーダーシップを獲得するという流れです。この三本柱が揃って一人前になるのです。
領木院長は臨床研修必修化の3年前に厚生労働省から臨床研修医療機関としての指定を受け、積極的に取り組んできた。現在では全国から見学に訪れるという、歯学生の中でも知られたクリニックになっている。
歯科医院は労働集約型の産業であり、多くの人材が必要です。患者さんのファンを作れるような歯科医師になって頂きたいですね。日本一の腕を持っていたとしても、患者さんが日本一と認識してくださらなければいけないでしょう。「最高の治療」というのは存在せず、患者さんが「最高の治療」だとお決めになった治療が最高であるのだと思います。
差別化のもう一つの取り組みが夜10時までの診療と、日曜祝日の診療である。りょうき歯科クリニックはいわゆるオフィス街に位置しているわけではないので、夜間のニーズはかなり高い。
ところが自費診療は夜間にはニーズがないんです。あくまでも朝からスポーツジムに行けるような人が自費診療を望まれます。したがって、その点で差別化のあり方を模索しています。また自費診療の提供に関わり、その価値を伝えられるスタッフの労働環境を整えることも必要です。
先日、中国の上海の歯科医院を訪れて驚いたことがあります。そこは3階建てのビルだったのですが、1階は100%保険診療、2階は一部自費診療、3階は100%自費診療になっていました。そこで一番労働条件が良いのが3階のスタッフ達なんですね。上のフロアに上がるためのスタッフの頑張りも素晴らしいのですが、それに応えていく経営者の努力も見過ごせません。
りょうき歯科クリニックでは「インフォームドカウンセラー」を配し、自費診療に迷いのある患者さんのためのカウンセリングを行っている。また領木院長は歯科助手も重要視し、このほど「歯科助手が患者様を増やす」という本を出版した。
インフォームドカウンセラーは現在2名の体制で、費用面や患者さんの心理的なところにまで、細かいカウンセリングをしています。押し付けは決してせず、ホスピタリティーを持たせるような指導をしています。歯科助手に関しては、2年ほど前から徐々にフォーカスを当ててきました。やがては完璧に院長主導からスタッフ主導へと変化させたいですね。
スタッフ教育
りょうき歯科クリニックでは全部門に「家庭教師」をつけるというユニークな教育を行う。例えば、歯科衛生士であれば、アメリカでの免許を取得した加藤久子衛生士など、一流の講師を迎えている。このほかにもビジネスマナーや、メイキャップ講座と幅広い。
一流の人に会わせようという狙いですね。また歯科医師のテクニカルスキル向上のために、日本先進技術歯科センターの優れた設備を使っての研修も随時行っています。最終的には、患者さんのため、そして自分のための研修でないと意味がありません。自分のQOLを上げて、家庭と職場のバランス、遊びと仕事のバランスの取れた人間になっていって頂きたいと思っています。
今後の展開
大学病院とクリニックの中間の規模の施設を共同経営していくことを考えています。「総合歯科医療センター」的な存在ですね。そこではもちろん次代を担える優秀な人材の育成を行いますが、働きやすい職場作りも行いたいです。ベネッセコーポレーションのように、働く女性に優しい環境を構築することもミッションの一つですね。
メッセージ
バランス感覚のある人材を養成したいですし、バランス感覚のあるスタッフにおいで頂きたいです。歯科医師の場合、最終的な目標は開業になるかと思いますが、開業自体は簡単なんです。しかしながら成功することは難しいです。人生における成功とは何かということを考えることのできる方と一緒に働いていきたいですね。
プライベート
趣味は海外旅行です。もともと一人旅が好きだったのですが、最近では海外の歯科クリニックを見学に行くことが多いですね。最近ではシンガポール、韓国、ドバイなどに行きましたよ。海外の歯科医師と話をしたり、海外のクリニック事情を学んでくるのは本当に勉強になります。
タイムスケジュール
- [テナント] 株式会社 小縁組/プランニングボックス