歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
医療法人社団博誠会 久世歯科医院 久世哲也 院長
川崎市宮前区野川。閑静な住宅街の真ん中に、久世歯科医院はある。東急田園都市線鷺沼駅、梶ヶ谷駅、南武線・東急東横線の武蔵小杉駅のいずれからもバスで10分前後で到着するこの地で、久世歯科医院は平成11年10月に開業した。周辺の環境に溶け込みながら、それでいて瀟洒な雰囲気のある外観とはうらはらに、最新の機器類と、歯科でありながら多彩な、各科のスペシャリスト医師を揃え、現在は日々多くの患者さんを診療し、活況を呈している。
何ゆえ、そのような開業ができたのか。理事長の久世哲也先生にお伺いした。
医療法人社団博誠会 久世歯科医院 久世哲也 院長
開業まで
久世哲也院長は、現在医院のある野川の地で生まれ育ち、ご両親とも医師ではなく、医療とは全く無縁の環境で幼少期を育った。
医師になろうと思ったきっかけは?
「幼い頃、自分で歯医者さんに行ったとき、とても痛くて痛くて・・・。『こんな痛い思いをさせる事の無い歯医者さんはいないのかな?』と、思ったのがきっかけです。いないなら、自分が歯医者になって、痛くない治療をしてあげたい、と思いました。そのイメージが強かったのでしょう。」
小さな頃の思いとは言え、その意志の強さがにじみ出ていた。
学生時代は理系が得意で、高校のときはバンドを組んで音楽活動もしていた。ごく普通の、ありふれた高校生だった。鶴見大学入学後は単位も順調に取得し、平成5年に卒業した後、すぐには就職をせず、予防歯科学を専攻し、大学院へ進んだ。
「勉強することが初めて楽しい、と感じていた。それまで義務であったり、歯科医師になるために通らなければいけなかった勉強を、初めて自分の意思でするようになった。『受動の勉強』から『能動の勉強』に変わった瞬間でしたね。とにかく、研究している日々は充実してました。」
博士課程を修了し、就職することとなって初めての現場は、医師が常時6~7人でフル回転しているような医院であった。規律も厳正で、非常に封建的な雰囲気が強く、且つ、売り上げが伸びなければ自分の居場所を見失うような医院であった。通常の医師ならば、尻込みしてしまうであろう環境であったが、臆する事は無かった。
「勤務医としてのあの時間は、大変、良い刺激になりました。同僚と、そして自分と競わなければいけなく、そのためには自分のスキル、力量を上げる必要が有りました。そして、それを常に感じることができる環境で、医師としての骨格を形成する時間を過ごせたことは、大変有意義でした。当たり前のことですが、私が常に思っていることは、『最高の環境に身を投じる』ということは、『自分のためになる』ということなんです。」
今後の展開
今後、歯科医院、歯科業界はどのようになるでしょうか?
「かかりつけ医としての『本質』が問われる時代になってくると思います。スウェーデンでの予防歯科、というのはよく取り上げられる題材ですが、あれが真剣に日本でも導入され、実践されるようになれば、と思います。もちろん、様々な問題も有りますが、予防歯科、というものは時代の流れとしても、もっと重視していかねばならないものでしょう。」
近年、予防歯科の分野は声高に叫ばれるようになってきましたが。
「もちろん、ライバルは増えると思います(笑)。ただ、独り勝ち、っていう環境は宜しくない、とも思っています。経営、という視点では、ライバルはいてナンボ、みたいなところは有っても良いと思います。そして、当院の意識も常に高いところにあれば、と思います。」
今後、開業される若い先生にひとこと。
「まずは、アクティビティを高く持って欲しいこと。そして、先輩のモノマネで終わるのではなく、オリジナリティーを持った仕事ができるかどうか、が重要だと思います。階段を上るように、一つ一つのステップを上がるとき、単純に上がるのではなく、バリエーションを他人よりも増やしながら上がっていって欲しいと思います。一番重要なことは、『明るい歯科医で無いとダメ』、ってことです。ものすごく、単純なことかもしれないけれど、これができる人が最近なかなかいない。静かで暗い先生が多いですね。性格、と言ってしまえばそれまでですが、本当に「来て良かった」と、患者さんに思われるような、最高の医院を作ろうと思うのならば、『明るい歯科医』になって下さい。」
常に、『全力』を感じさせる久世理事長。最後の言葉の通りとにかく明るく、スタッフからも、患者さんからも信頼されているのは、力量もさることながら、この性格もあるのだろうと感じた。久世理事長の根底にある、『患者さんのために』を、全てにおいて実践しているその実力は、一見の価値はあるものだろう。