歯科経営者に聴く(前編)
~第一線で活躍する理事長から学ぶ~
佐賀県佐賀市大和町はかつては佐賀郡に属していた大和町が2004年に佐賀市と合併して生まれた地域である。長崎自動車道の開通とともに発展した地域で、佐賀市のベッドタウンでありながら、イオンモール佐賀大和などの賑わいのある商業施設も建ち並んでいる。
はっとり歯科医院はJR佐賀駅から車で15分、長崎自動車道佐賀大和インターチェンジから車で5分の場所に1992年に開業した歯科医院であり、「患者さんの健康寿命を延ばすこと」を目指して今までにない新しい歯科治療に取り組んでいる。
今月と来月の2回にわたり、はっとり歯科医院の服部康治院長にお話を伺った。
医療法人祥和会 はっとり歯科医院 服部 康治 理事長
【プロフィール】
- 1959年佐賀県 生まれ
- 1985年福岡歯科大学 卒業
- 1985年~1987年広島県の一般歯科勤務
- 1987年~1991年佐賀医科大学の口腔外科勤務
- 1992年はっとり歯科医院 開業
- 1996年医療法人祥和会 設立
【開業に至るまで】
歯科医師を目指したきっかけをお聞かせください。
父が建築業に携わっていたのですが、私は足が少し不自由だったので、建築業を継ぐのは難しいだろうということから、「手に職をつけた方がいい。お前は器用だから、歯科医師を目指したらどうか」と家族に言われたことが歯科医師を目指したきっかけです。
大学卒業後の勤務歴をお聞かせください。
私はもともと開業志向があり、大学病院に残りたいという気持ちはあまりなかったので、大学卒業後は先輩が勤めていた広島の一般歯科に入職しました。先輩から「繁盛している歯科医院だから勉強に来てみたらどうか」と誘っていただいたのです。当時は今のような予防歯科や審美歯科は全くなかったので、エンドや形成を徹底して勉強していました。2年ほど勤務していたのですが、麻酔や全身管理などの外科的なことを知らなすぎたので、「これはまずい」と思い、地元の佐賀に戻り、口腔外科に勤務しました。
どういうタイミングで開業を決意されたのですか。
その口腔外科で外来、病棟、麻酔科と一通り経験し、大きな手術はもちろんできなかったのですが、小さな手術は多くの経験をさせていただき、3年目ぐらいのときにそろそろ開業しようかなと考えました。
開業地はどのように決められたのですか。
開業地については最初から地元の佐賀でと決めていました。
歯科医院のデザインや設計の工夫をお聞かせください。
父親が建築業をしていたとはいえ、私は本当に何も分かっていなかったので、父に設計士の先生を紹介してもらいました。その先生がしっかり考えてくださったので、それまでにないようなデザインとなり、とても感謝しています。今は個室もユニットもかなりありますが、最初は少なく、徐々に増やしていきました。
ユニットをどのように増やしていかれたのですか。
開業して7年目ぐらいまでは治療が中心だったので、補綴やエンドばかりをしていて、予防歯科をするという感覚を全く持っていなかったのです。しかし、治療成績があまり良くない時期があり、そこで有名な山形県の日吉歯科診療所の熊谷崇先生のセミナーを受け、「これだ」と思いました。私の中で予防歯科が新しい概念になりましたね。そこから予防歯科を学び、私どもでも取り入れていきましたが、当初は患者さんからも受け入れられないばかりか、スタッフからも受け入れられなかったので、新しいことを始めるのに躊躇していたのですが、院長室を潰し、そこにユニットを置いて始めていきました。まずはスタッフへの理解を促すために、スタッフにも毎月のように東京に一緒に勉強に行ってもらいました。そして、スタッフが患者さんに説明できるようになると、患者さんが定着し、ユニットが足りなくなったので、増築してユニットを増やしました。院長の私だけが理解していたとしても、予防歯科を施すのは結局はスタッフですから、スタッフの理解、知識、協力がないと難しいです。それを乗り越えるのに少し時間がかかりました。