歯科経営者に聴く - 海岸歯科室 森本哲郎院長

歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~

医療法人社団 康樹会 海岸歯科室 森本 哲郎 院長

医療法人社団 康樹会 海岸歯科室 外観

千葉市美浜区高洲は海浜ニュータウンの中心地である。1980年代からコミュニティセンターの建設が進み、イオンマリンピア店などが賑わいを見せている。また、最近では高層マンションも林立し、さらなる人口増加が見込まれているエリアである。
海岸歯科室はJR京葉線の稲毛海岸駅から徒歩3分の場所に位置する歯科医院である。小児歯科専門の分院を展開したり、訪問診療にも力を入れるなど、「患者さんを一生涯、診ていく」というコンセプトで診療にあたっている。
今月は海岸歯科室の森本哲郎院長にお話を伺った。

医療法人社団 康樹会 海岸歯科室 院長 森本 哲郎 先生

医療法人社団 康樹会 海岸歯科室 森本 哲郎 院長

プロフィール

1963年 東京都 生まれ
1988年 東京歯科大学 卒業
1988年 東京歯科大学水道橋病院歯科総合科 入局
1989年 東銀座の歯科医院 勤務
1991年 海岸歯科室 開設
2004年 海岸歯科室 移転

  • 【学会 他】
  • 国際インプラント学会指導医
  • 米国インディアナ大学歯学部インプラント科客員研究員
  • UCLAインプラントアソシエーション会員
  • 日本歯周病学会会員
  • 歯科総合医療研究会会員
  • 日本摂食嚥下リハビリテーション学会会員
  • 趣味:野球(現在、少年野球コーチ)
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開業に至るまで

歯科医師を目指されたきっかけはどのようなものだったのですか。

祖父、祖母、父が歯科医師という家庭で育ちました。自宅が歯科医院でしたし、当時の歯科医師は義歯も作っていましたから、私にとって働く人とは歯科医師だったのです。父は歯科医師になれとは一切、言いませんでしたね。私も高校時代は普通の大学に行って、普通のサラリーマンになることに憧れたこともありましたが、高校3年生のときにやはり歯科医師になりたいと思いました。

学生時代に思い出に残っていることはありますか。

勉強が忙しかったので、楽しい思い出はあまりありません(笑)。大学生活は時間に恵まれて、アルバイトやサークル活動をするところというイメージがありましたが、実際は授業の出席やテストが厳しく、専門学校に近い雰囲気でしたね。今は国家試験に受かることが大変な時代ですが、当時は国家試験に受かるのは当たり前のこととして受け止められていました。
部活動はゴルフ部に入り、6年生まで活動しました。私は組織で動くのが好きなので、色々な職種や大学の人たちと集っていました。遊び中心の企画ではありましたが、そこで人間関係や人との付き合い方を学びましたね。

卒業後、勤務先を選ばれた理由をお聞かせください。

父は大学に長く残っていたのですが、私は開業医のもとで早く臨床を身につけ、開業したいと考えていました。しかし、大学の先生方から「大学に残って勉強しながら、将来のことを考えてはどうか」というお勧めをいただいたのです。大学に残るなら千葉病院よりも水道橋病院の方が良かったので、水道橋病院の唯一の講座である歯科総合科に入局しました。

その後、転職されたのですね。

大学病院は一人の患者さんを長く診ますが、患者さんの数自体は少ないのです。大学病院では臨床家としての上達が遅くなってしまうので、開業医のもとで修行したいと思いました。そこで東銀座にあった歯科医院に就職したのですが、伊豆にも分院があり、院長先生は東銀座と伊豆を行ったり来たりして診療されていました。先輩の歯科医師もいましたが、その方が退職されてからは勤務医は私一人になったのです。2年目のときには1日50人の患者さんを診ていましたし、分院長も経験できました。

勤務先で学ばれたのはどういったことですか。

患者さんを一人で診る能力はある程度、鍛えられました。ただ、細かい技術的なことはあまり指導を受けていないのです。それは開業後に勉強会などで学びました。開業直後は患者さんもあまりいらっしゃらず、時間がありますから、勉強できましたね。大学時代よりも勉強していたように思います。

開業しようと決断されたいきさつはどんなことだったのでしょう。

実家の歯科医院を継ぐという選択肢もありましたが、父と話をしたときに親の跡を継ぐという道はつまらないという結論になりました。実家は浅草にあるのですが、下町は高齢化が進み、人口が減少すると予測されています。父は「将来を考えたら、外で勝負した方がいい。失敗したら、帰ってこい」と言ってくれました。

開業地はどのようにして探されたのですか。

稲毛には母校のキャンパスがあったので、大学との連携を図るためにも母校の近くを探していたところ、先輩の親御さんが持っていた建物の2階が空くとの連絡を受けたのです。今の建物の2軒隣りの建物です。20坪しかありませんでしたし、エレベーターもない物件でした。ユニット2台で開業し、どうにか4台まで増設したのです。スペースの中にどれだけ入れるかという感じでしたね。そこで9年を過ごして、今の建物に移転しました。

開業にあたってはどんな苦労がありましたか。

開業そのものを甘く捉えていたので、苦労はなかったです(笑)。同級生と一緒に何となく開業したのですね。1年後に同級生がほかで開業することになり、私も結婚して、家族ができたことで、しっかりしないといけないという自覚が生まれました。経営の勉強を始めたのもその頃ですね。

開業にあたってのコンセプトなどをお聞かせください。

患者さんを一生涯、診ていくということです。診た患者さんがお亡くなりになるまで診ていくというもので、これは今も変わっていません。

今の物件はどのように探されたのでしょう。

向かい側に高層マンションの計画があり、1,000世帯が入ることも知っていましたので、私どもも拡大したいと思っていました。でも、前の物件では4台以上の拡大はできませんでしたから、移転するしかなかったのです。ここは高校の同級生が持っている建物なのです(笑)。同級生とは近所でよく会っていましたから、3階が空くと聞いて、移転を決めました。

こちらの第一印象はいかがでしたか。

前の物件に比べると1.5倍の広さになりましたので、広いなという第一印象でした。5台から始め、歯科技工士が常駐する技工室も作りました。

移転時の設計、レイアウトの工夫などをお聞かせください。

最初の開業のときはお金をかけてドアや家具を揃え、雰囲気作りにこだわったのですが、移転時はなるべく現実的に行いました。インプラントをしていますので、手術ができる設備や個室を作りましたが、それ以外は普通の歯科医院ですよ。2年後にリフォームを行い、ユニットを増設しました。院長室をなくして6台にし、のちには技工室を隣りのビルに移して7台にしたのです。そのときにカウンセリングルームも新設しました。

経営理念

経営理念をお聞かせください。

医療は心だと思っていますので、世界一優しい歯科医院を作ることを心がけています。それは法人の全員に統一させています。優しさは対人間のみならず、対モノでもあり、対治療でもあります。究極的には治療がなくなればいいのですが、現実はそうなりません。
しかし、これから保険制度が崩壊し、歯科にはその締め付けが来ます。2025年問題と言われていますが、高齢化のピークを迎えると、補綴は保険制度から抜けるかもしれません。そうすると、満足に噛めず、食事ができないのに、治療もできない人が増えてきます。そういう人を作らないようにするためには予防が必要です。経営のためのリコール率アップではないのです。予防は経営の柱ですね。私どもでは特別な予防システムを行える歯科衛生士を育てています。3年前には本院の下のフロアを借りて、予防専用の分院を作りました。
去年、小児歯科の分院を展開したのは「患者さんを一生涯、診たい」というコンセプトのもとで、0歳から診たいと考えたからです。あくまでもこの地域だけで分院を展開しています。歯科経営で成功している方々は広い地域で分院を展開されていますから、私どものやり方がうまくいくかどうかは分かりません。でも、コンセプトを優先しています。お蔭様で今でも月に新規の患者さんが200人を超えており、ユニットが足りない状況です。分院を含めると18台あるのですが、増やすしかないですね。
訪問診療も行っています。これもコンセプトに従った結果です。インプラントのメンテナンスなどで通ってこられていた患者さんが通えなくなったときには私どもが訪問しないといけないでしょう。一生涯、自分の歯で噛めるための手助けをしたいと願い、摂食嚥下のトレーニングにも力を入れています。

診療方針

診療方針をお聞かせください。

柱は予防であり、しっかりした検査をすることでもあります。病気になると、医科では血液検査やレントゲン検査をしますが、歯科はレントゲン以外の検査はアバウトです。病気を見つけるためには検査が重要ですから、私どもでは位相差顕微鏡を導入していますし、唾液検査、口腔内ガスの測定なども行っています。予防を考えた治療をしないと再発しますので、原因が分かったうえで治療をすること、治療をするからには二度と虫歯にならないようにすることが大切です。

患者さんの層はいかがですか。

分院が小児歯科ですので、お子さんとご家族は分院で診ています。本院は高校生から高齢者までと幅広いですよ。海浜ニュータウンの初期に建設された団地からは高齢者の方々もお越しになりますが、どちらかと言えば少ないです。多いのは稲毛海岸駅周辺にお住まいの若い方々ですね。

自費と保険の割合について、お聞かせください。

本院は自費が35%です。今後は保険制度がどうなるか分からないので自費率の向上が必須なのでしょうが、そのためには歯科医師やスタッフが必要です。また、歯科医師が治療に専念するためには歯科医師の代わりにコンサルティングができるスタッフが求められます。こうしたトリートメントコーディネーターを育てるには時間がかかります。歯科への勤務経験があると、知識がなくても早く育つのですが、経験がないと何年もかかりますので、難しいですね。

増患対策

どのような増患対策を行っていらっしゃいますか。

ホームページを強化したいと考えています。壁面の看板にはお金もかけましたし、こだわっています(笑)。LEDを入れたもので、夜になると、特に綺麗です。

スタッフ教育

スタッフ教育について、お聞かせください。

歯科医師の教育はまず私どものコンセプトからずれないことに主眼を置いて、技術的な指導にあたっています。ただ、インプラントやデンチャーに関しては外で学んできてもらう方針です。私が教えるよりも専門家からの方が新しいことを習えますから、私はどんな勉強会がいいのかをアドバイスする程度ですね。学んできたあとは実践する場が大切ですので、私のアシスタントについてもらったり、患者さんに実際にインプラントを打ってもらうこともあります。また、私どもへの勤務を終えて、実家の歯科医院を継承する人も少なくありませんので、患者さんに来ていただくためのノウハウなども教えています。

歯科衛生士、歯科助手への教育はいかがですか。

歯科衛生士の中に2人、インストラクターができるスタッフがいます。歯科医師がいなくても、歯周病治療ができるスタッフなので、歯科衛生士教育は彼女たちに任せています。歯科助手も皆、一生懸命やってくれていますし、できるスタッフも多いので、私が何かを言うことはあまりないですね(笑)。

今後の展開

今後の展開について、お聞かせください。

今後の方向性はどうなっていくか、分かりません。私としては息子か、ほかの歯科医師に跡を引き継ぐための基盤となる、揺るがない組織作りを行っていきたいです。患者さんが増え続けていくようであれば分院も検討しますが、3軒目を出したばかりですので、すぐには難しいですね。歯科医師も欲しいですが、予防ニーズの高まりがあるので、歯科衛生士を増やしていきたいです。

開業に向けてのアドバイス

開業に向けてのアドバイスをお願いします。

夢を描いて開業するわけですが、開業には分母が必要です。分母をどれだけ増やすか、ターゲットがないと何も始まらないのです。もともと何もなかったところに開業するのですから、いきなり患者さんが来ることはありません。最初の1年は365日休むなと言いたいです(笑)。木日休みはありえないですよ。最初は「夜10時まで開いているから来ました」とおっしゃる患者さんだけでもいいので、その患者さんと信頼関係を結べるまで、地道に努力しましょう。そのうち、紹介の患者さんがいらっしゃるようになり、口コミも増えます。開業当初は朝10時から夜10時までにして、段々と短くすればいいのです。

プライベート

プライベートの時間はどんなことをして過ごしていらっしゃいますか。

子どもが小さいうちは一緒に過ごしてきましたが、子どもが大きくなると部活動などがあり、家族皆でいられる時間が少なくなるのが淋しいですね。これからは夫婦で楽しめることを見つけていかなくてはと思っています。夏休みは沖縄に、正月休みはハワイに行きました。一番上の子どもがそろそろ就職しますので、家族で行ける最後の旅行になったかもしれません。楽しかったですが、最近のハワイは物価が高いですね(笑)。

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