歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
医療法人 たんぽぽ会 歯科グループ 大嶋 俊一 理事長
医療法人 たんぽぽ会歯科グループは現在8医院、総チェアー台数65台。そのたんぽぽ会歯科本院は泉北ニュータウンの一角である大阪府堺市南区槇塚台に位置する。槇塚 台を含む泉ヶ丘地区の人口は6万人を超える。槇塚台という地名は槇の木が多かったことと、弘法大師にまつわる伝説である「陶器山七不思議」の「黄金塚」が 由来だという。
たんぽぽ会歯科本院は泉北高速鉄道の泉ヶ丘駅から南海バスで8分ほどの場所に、2007年に開設された歯科医院である。保険診療を中心に幅広い患者さんを集め、訪問診療にも力を入れている。
今月は医療法人たんぽぽ会歯科グループの大嶋俊一総院長にお話を伺った。
医療法人 たんぽぽ会 歯科グループ 大嶋 俊一 理事長
プロフィール
- 1962年 兵庫県 生まれ
- 1988年 広島大学 卒業
- 広島市内の歯科医院 勤務
- 大阪府内の歯科医院 勤務
- 2001年 てらかどクリニック 開設
- 2004年 うおずみモール歯科 開設
- 2006年 おおとり歯科 開設
- 2007年 たんぽぽ会歯科本院 開設
- 2009年 みと院 開設
- 2010年 あしはらばし院 開設
- 2012年 東淀川院 開設
- 2014年 和歌山院 開設
開業に至るまで
歯科医師を目指されたきっかけはどんなことだったのでしょうか。
高校生の頃は本気でパイロットになりたいと思っていました。当時、パイロットになるには現役、一浪、二浪の3回しかチャンスがなかったのですが、2回目で諦めました。学力試験は通ったのですが、昔から水泳をやっていて、心臓肥大のためにどうしても心電図検査で引っかかってしまうのです。2回も同じことで駄目だったので、諦めました。それから歯学部に入りました。どういう理由かは自分でもいまだに分かりません。今があるのはパイロットの試験に失敗したからです。今では歯科医師は天職だと思っていますが、当時はあくまでも夢はパイロットで、歯科医師は決して夢ではありませんでした。親は歯科医師ではなく、放任主義で、勉強をしろとも、大学に行けとも言いませんでしたね。良いのか悪いのか分かりませんが、親子の関係が薄いのかもしれません。だから開業についての相談もしたことがないし、支援もありませんでした。開業してから10年以上経って報告したくらいです。数年ぐらい前までは親から絶縁を宣言されていたので顔を見ることもありませんでした。
大学時代はどんな学生でしたか。
学生時代は水泳をしていました。当然、クラブでの経験は役に立っていますよ。そのとき、水泳部のマネージャーをしていた彼女と大学を卒業して3年後に結婚しました。若かったので、もちろん最初は外見重視でしたが、今になって思えば自分にないものを持っている人でしたね。有能なパートナーがいるというのは人生において大きな力になると思います。その後、歯科医師としてやっていくうえでも、このパートナーとの出会いは本当に大きな力になりました。
勤務先で学んだことはどんなことですか。
大学を卒業してからすぐに勤務した広島の歯科医院の院長には可愛がってもらいました。その歯科医院では25年前にデジタルレントゲンを導入されていまし た。今では当たり前ですが、当時はまだ珍しかったですね。その院長はお亡くなりになったのですが、歯科医師としての熱意は素晴らしく、私は一生かなわない と思っています。
その後、大阪で管理医師をさせてもらいました。経験3年目の29歳の若僧なのに、JRの駅前という最高の立地で、チェア5台、一 戸建ての立派な診療所を任せてもらい、何でもやらせてもらいました。嬉しかったですね。当時は失敗ばかりで、患者さんに迷惑もかけました。それでも若い自 分にそこまで任せてくれたY先生の男気には本当に感謝しています。
「お前は人の下で働くより、自分でやった方がいい」と言われ、ほとんど口出しも せずに任せてもらいました。口出しする方が断然、楽だったと思いますよ。若僧がすることをじっと見て、失敗するのもじっと見て、放任主義を通す方が大変で す。私から22時まで診療したいと言い出したので、かなりの労働時間でしたね。人は忙しいときほど色々なことをやっているものです。逆に時間がある時ほど 何もしていないのです。当時はインプラントに力を入れていたので、自由にできる昼休みを利用して手術もしました。当時は若かったので、体力もあったし、人 の診療所であるがゆえに目一杯やらないといけないとも考えていました。
開業しようと決断されたいきさつをお聞かせください。
実はてらかどクリニック、うおずみモール歯科、おおとり歯科は勤務医時代に開業しているのです。てらかどクリニックは居抜き物件の話を偶然にもらったのが きっかけです。私としてはその場所は一般診療には向いておらず、その頃やりたかった訪問診療に向いていると考え、開業しました。当時は今ほど訪問診療も多 くなかったし、点数も高い時代でした。この後、ちょうど介護保険が導入されて、一気に訪問診療が出てきた時代になりました。大学を卒業して3年で結婚し て、お金もまだなかったのですが、結婚して3年後に堺市内に150坪の自宅を購入しました。32歳ですよ。もちろん親とは疎遠だったので、支援も全くなし です。それもあって、良く働きましたね。私は「モチベーションがなかったとき」というのがこれまでに一度もないのです。そういう状況で勤務しながら、3院 を開業しました。その後、勤務医を辞めて「たんぽぽ会歯科本院」を槇塚台に開院しました。
開業にあたってのコンセプトやこだわりなどをお聞かせください。
診療室の設計やレイアウトも基本的には自分でしています。失敗してもいいから、自分の信念に従ってやるタイプなのです。立地リサーチも一切やっていませ ん。本院の「赤い屋根」も「血を連想させる赤を使用するなんて医療業界では非常識だ」と言われましたし、「待合室が広いと患者さんが待たされるイメージを 持ってしまうので狭い方がいい」と言われていますが、私どもは広い待合室を作っています。そんな法則は全く関係ないですね。「この物件にしよう」という決 断にしても、即決か、一晩だけ考えます。それ以上は考えません。物件選びの法則もこだわりもなく、直感のみです。場所も設計も全て自分の気持ちにストレー トに決めたいですね。
おおとり歯科は、妻がドコモショップで相談をしている間、私が外で待っていたのですが、ドコモショップの前にあった物件を見 て、即決しました。携帯電話の買い替えよりも早く決断したくらいです(笑)。最近の失敗はiPADの導入ですね。些細なことですが、やってみたからこそ失 敗だったか、成功だったかが分かるのです。利点、欠点を話せるのは失敗したからこそであり、体験しないと結論は出ないものです。
経営理念
経営理念はどのようなものですか。
医療法人たんぽぽ会歯科グループでは基本的に保険診療を中心に行っています。私自身は自費診療は今はしないと決めています。かつては自費治療、特にインプラントを専門 的にやっていこうとしていた時期もありましたが、今はしていません。やるべき勉強をしていないからです。先日も患者さんに依頼されたのですが、お断りしま した。今の私には自費診療を行う資格はありません。自費診療は本当に勉強してきた歯科医師だけが何年もかけて積み上げてきた技術を持ってやるべきです。切 磋琢磨して旬の勉強ができている人、最新で最善の勉強を続けていこうと思う人だけが行ってほしいです。自費診療を売り上げアップのツールにはしてほしくな いですし、保険が駄目だから自費をしようとか、患者さんが少ないから自費をしようというのは正しくないと思います。
診療方針
診療方針をお聞かせください。
患者さんが何を望んでいるのか、患者さんの気持ちになって治療方針を立てることが一番です。患者さんを無視したような身勝手なことはしないというのが私の 診療方針ですね。アドバイスが歯科医師の傲慢になってしまうこともときにはあるわけですが、患者さん主体で、患者さんがやってほしいことをしてあげる歯科 医師でなくてはならないと思います。こういうことを言うと、治療方針も立てずに無計画にやっていると誤解されることもありますが、決して無計画にしている わけではありません。例えば、車の点検に行った場合でも、ずっとその車に乗り続けたいと思っている人と、近々乗り換えようと思っている人とでは修理の仕方 は違います。たとえ同じ状態であっても、やるべきことが違うように、同じ口腔内の人が二人いたとしても、歯科の治療方法は一つではないということです。
増患対策
どのような増患対策を行っていらっしゃいますか。
月並みですけど、増患対策というのは医療の世界にはないと思っています。一生懸命やるのみです。地域の人々に必要とされる存在になれば、おのずと増患に繋がります。増患は結果であり、対策するものではないというのが私の考えです。
スタッフ教育
スタッフ教育として、どういうことをされていますか。
教育は歯科医師の気持ち次第でしょう。本人に勉強したいという気持ちがなければ、単なるお節介や押し付けになるだけです。実際、勉強を望まない人も最近は 多いです。本人が勉強したい気持ちを持っているならば、こちらも最善を尽くしますよ。私の持っているもので役に立つことがあれば、惜しみなく伝授します。 先日、e-dentistに紹介してもらった韓国人の歯科医師は日本で歯科医師としてやっていきたいという強い気持ちを持っています。その思いに私は感動 し、何か力になりたいという気持ちにさせられました。今は一歩ずつステップアップしていますよ。「この歯科医院に入ったら何か教えてくれるんでしょう」と いう人ではなく、望む人には積極的に教えるというスタンスです。スタッフ教育は私にとって、多くの歯科医師やスタッフとやっていく楽しみであり、特権かも しれないですね。スタッフがレベルアップしたり、幸せになることは嬉しいことです。
今後の展開
今後の展開について、お聞かせください。
分院展開などの予定は特にありません。しかし、一緒にやりたいと思える歯科医師に出会えて、その歯科医師が望むならば、分院展開も考えるかもしれません。
開業に向けてのアドバイス
開業に向けてのアドバイスをお願いします。
開業テクニックはないと思っています。私は経営に関する本も読んだことがないし、開業セミナーにも行ったことはありません。しっかり治療の勉強をして、治 療のテクニックを学ぶだけで、特別な成功術などはないですね。私どもは内覧会も開催しません。こっそり始めるというスロースタートをして、開院して1カ月 後あたりにスタッフが慣れてきた頃に看板を上げています(笑)。スタッフが慣れていない時期に多くの患者さんが来院されたら、混乱してしまいます。歯科関 係者からみたら、私のやり方は間違いだらけなのでしょうが、これが私のやり方です。
プライベート
プライベートの過ごし方をお聞かせください。
以前は犬を8匹飼っていました。現在は4匹ですが、診療後のプライベートな時間はゆったりと犬の散歩を楽しんでいます。とはいえ、2回に分けて散歩に行く ので、かなり大変です(笑)。私は「そこそこ」ができない性分なので、ものすごく遊びたくなって、この10年、歯科医師をほぼ辞めていました。スタッフに は本当に申し訳なかったですが、恥ずかしながら普通の人の10倍は遊ばせてもらいました。 ゴルフに関してはゴルフ場の寮に寝泊まりして、ゴルフ研修生と一緒に練習をする毎日を過ごしました。モータースポーツに関してはアマチュアが参戦できる国 内最高のレースにも参戦させてもらいました。確かに楽しかったですよ。でも見失っていたものも多く、心の底から満足してはいなかったですね。プロが素晴ら しいのはプロだからなのです、どんなに頑張っても、遊びの人にはプロの輝きは出せないですね。ケガをきっかけに、そういった生活も止めました。今は週6 日、診療をさせてもらっていますが、探していたものがこんなに身近にあったのだと気づかせてもらいました。
最後に、メッセージをお願いします。
最近、50歳を過ぎて、生きることは難しいなと思っています。贅沢なことですが、健康であっても、生活できるお金があって何不自由なく暮らせても、それだ けでは生きている満足には繋がらないようです。仕事に限らず、他人のため、例えば犬のためでも、植物のためでも、何かのために何かをやれたときに幸せを感 じるのではないでしょうか。人にはそういう欲求があるように思います。私はこういった取材はこれまであまり受けていませんでした。でも子どもが20歳を過 ぎ、私自身も50歳を過ぎた今、私自身をこういう形で振り返るきっかけをいただき、e-dentistさんには感謝しています。今あるのは、私が切り開い て、自分で作ってきたような気がしていた生意気な時期もありましたが、大きな勘違いで振り返ってみれば私のやってきたことなんて小さいですね。「出会い」 と「運」と「感謝」です。いい出会いに巡り合い、たまたま良い運に恵まれて、感謝を忘れないでいることが今の私に繋がっていると思います。私どもの歯科医 院は歯科医師、スタッフはもちろん、業者さんなど、多くの方々のお蔭で成り立っています。心から感謝しています。最後になりましたが、私自身がいつも忘れ ないようにしていることをお伝えします。「失敗しても不貞腐れない、うまくいっても調子に乗らない、たまたまだから。」