歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
KAZ DENTAL OFFICE 大島 一宣 院長
大阪市淀川区塚本はかつては農村地帯であったが、1934年に東海道本線の塚本駅ができたことにより、宅地化が急速に進んだ地域である。現在はJR大阪駅まで1駅という近さや阪急電鉄の十三駅まで徒歩圏ということもあり、多くの人口を擁している。
KAZ DENTAL OFFICEはJR塚本駅から徒歩3分という好立地に、2009年に開業した歯科医院である。開業以来、「ご来院いただいた全ての皆様に、KAZ DENTAL OFFICEに出会えてよかった」と言って頂けるような歯科診療を心がけている。
今月はKAZ DENTAL OFFICEの大島 一宣院長にお話を伺った。
KAZ DENTAL OFFICE 大島 一宣 院長
プロフィール
- 1972年 兵庫県 生まれ
- 1998年 広島大学 卒業
- 2002年 広島大学大学院 修了
- 2003年 広島大学歯学部附属病院(現 広島大学病院)勤務
- 2004年 (医)善光会上石 神井駅前歯科 勤務
- 2009年 KAZ DENTAL OFFICE 開設
開業に至るまで
歯科医師を目指されたきっかけはどのようなものだったのですか。
恥ずかしい話ですが、歯科医師を強く目指していたわけではありません。両親も歯科医師ではありませんし、親戚にも歯科医師や医療関係の仕事に就いている人はいません。
大学受験で、受かったのが広島大学歯学部でした。それなりに勉強して、それなりの成績になったうえで入れる大学に入ったという感じで、入学当初は歯科医師 になりたいという気持ちは薄かったですね。阪神大震災が僕の人生を変えました。今思えば逆に目標のない毎日が地震で僕の目標が決まった気がします。
大学時代はどのような学生生活だったのですか。
大学1年生のときに阪神大震災が起こり、西宮市の実家が被災しました。親も怪我をして、しばらくは仮設住宅、自衛隊のお風呂に入りに行くという生活でし た。仕送りは完全にストップ。僕は特に目標もないままに大学に入り、親の仕送りで何となく過ごしていたのですが、そんなダラダラした生活が一変しました ね。それからはアルバイトで、学費と生活費をかせぐ学生生活で本末転倒ですが勉強はしませんでした(笑)。
どのようなアルバイトを経験されたのですか。
家庭教師、バーテン、カラオケ店から的屋まで、様々な仕事を経験し、大学卒業までの学費を捻出したのです。今の私への転機は阪神大震災でした。当時、自衛 隊や全国から集まったボランティアの方が怪我をした父の足を拭いてくれたり、食料を運んでくれたりしました。地元にいなかった私の代わりに、親を助けてく ださったのです。私は社会人になったら、このときの感謝の気持ちを返していきたいと思うようになりました。いつも口にしている「使命感」もこの頃から言っ ている言葉です。復興を担う人の姿が被災者の僕の人生を作ってくれた気がしますし、感謝しています。
大学卒業後はどのようなキャリアを積んでこられたのですか。
卒業後は研究の分野で皆様の役に立ちたいと大学院に残りました。「唾液腺のイオンの分泌」を研究し、博士号を取得してしばらく大学に残って研究を続けてい ましたが父の病気など家庭的・経済的な理由で臨床へと方向転換しました。その時大学院時代の恩師から「人のために勉強して、人のために役にたちなさい。そ のために己の技術・知識・経験を磨きなさい」と言われたのは今でも僕の座右の銘になっています。広島大学に通っていらしたのに、勤務先に東京の歯科医院を選ばれたのはどうしてですか。
勉強会が豊富にある東京で勤務しました。勤務医時代は1カ月に1回は勉強会に行くというノルマを自分に課しました。こういったプレッシャーは自分自身の成長に繋がりますね。
勤務先で学ばれたことはどのようなことでしたか。
トップとして、ある程度は任せていただけました。そこで、厳しく人を育てることも大切ですが、厳しさの中に優しさが必要であること、優しいばかりではどう しようもないこと、怒るときにはきちんと怒らないといけないのだということを学びました。勤務先での経験は開業後のスタッフの育成などに大きくプラスに なっています。
開業しようと決断されたいきさつを教えてください。
決断というほど、大きなものはありません(笑)。臨床の道を選ぶと決めて、一つの歯科医院で経験を積んだら開業しようと考えていたのです。歯科は小さい世界ではありますが、歯が痛くて、夜眠れない人を助けたいという純粋な使命感をもって、開業を決意しました。
開業にあたってのコンセプトやこだわりなどをお聞かせください。
神戸や故郷の西宮あたりで開業したいという希望がないわけではありませんでしたが、たまたま、この場所と巡り合いました。特にこだわりはありません。縁物ですから...
設計に関しては、患者さん同士の目線が気にならないように、全て個室にしたのがこだわりです。父が建築の仕事をしていましたので、デザイン、設計、内装を全て父に任せました
診療時間が15時から22時までというのはとてもユニークですが、どういった理由からですか。
開業当初は10時から22時までの診療時間だったのですが、体調をこわし、ドクターストップがかかりましたので、2、3年前に15時から22時までに短縮しました。仕事の都合でなかなか歯科医院に通院できない方々をお助けしたかったので、そういった方々が通いやすい時間帯をえらびました。今では仕事帰りに寄れると喜んで下さいます。
「働く人」である患者さんを大事にしていらっしゃるのですね。
45年間、働いてきた父の口を診たとき、歯がボロボロになっていたのです。子どものため、家族のために働いていた父には歯科治療を受ける時間もなかったの でしょう。父が退職したときに残ったものは退職金と入れ歯だけでした。世の中の人は多かれ少なかれ、こういう状況かもしれませんが、僕は医療に携わる者と しての使命感から「働く人」である患者さんに尽くそうと思っています。
この診療時間で良かったことはありますか。
朝は目覚まし時計に起こされるよりは自然に起きたいものですから、それが叶えられたのはいいことですね。子どもが小学校に行く頃には起きていますが、朝は のんびりできています。また、10時までの診療は遅い印象を受けますが、僕はお酒も飲みませんし、診療が終わったらすぐに帰宅していますので、残業した り、飲みに行ったり、家でテレビを見ている方たちと全く違った生活時間で動いているわけではありません。又、患者さんに「今まで仕事で歯医者に通えなかったんだけどここならがんばれそう!!」と言われる時が僕のプライスレスですね。
スタッフの皆さんの反応はいかがですか。
スタッフも喜んでくれていて、この時間でないと嫌だと言っているぐらいです(笑)。主婦のスタッフも多いですから、午前中にゆっくりできるのはメリットが大きいようです。友達とゆっくりランチしてから、出勤可能ですからね。
経営理念
経営理念を教えてください。また求職者に伝えたいことがあれば、お聞かせください。
歯科医師として生きる道を選んだ以上、使命感を持って生きていくことは大切だと思います。父は震災でつぶれた自宅を見ながら泣いたそうです。しかし、数年後、父はまた自分の家を自分の手で作りました。人生にはうまくいかないことも多くありますが、それが人生です。でも、阪神大震災後の復興のように、やり直す気さえあれば、必ずやり直すことができます。退職をして求職している人は何か理由があることでしょう。しかし、歯科医師としての使命感を持ってやれば必ずやり直せます。技術はいくらでも学べます。お金を出して講習会にいけば技術は買えますが、使命感はお金では買えないものです。
診療方針
診療方針をお聞かせください。
テクニックに走るのではなく、患者さんが望んでいることを考えることです。難しい処置を行うよりも、まずは保険の範囲で審査・診断し、きちんとやれることをしたいですね。
増患対策
どのような増患対策をしていらっしゃいますか。
ホームページのほかは特に何もしてないですね。看板やタウンページなどにも掲載はしていません。しいていうならば、患者さんには笑顔で接していますね(笑)
スタッフ教育
スタッフの採用について、お聞かせください。
「自分で考えてみろ」と、いつも言っていますね。ヒントは言いますが、答えを出すことはありません。人生とはそんなものだと思います。
今後の展開
今後の展開について、お聞かせください。
分院展開などは今のところ考えていません。でも、近い将来には開業当初の時間帯に戻したいです。そのため、午前中を任せられる歯科医師にいらしてほしいです。
開業に向けてのアドバイス
開業に向けてのアドバイスをお願いします。
「自分が思うことをしろ」ということでしょうか。僕は「使命感」にこだわっていますが、皆がそこにこだわる必要はありません。経営・運営にこだわるのも良し、予防・審美・インプラントなどの技術にこだわるのも良し、医院の雰囲気にこだわるのも良しです。
プライベート
プライベートの時間はどんなことをして過ごしていらっしゃいますか。
今は「アートアクアリウム」に凝っています。水槽の風景を作るものです。盆栽のような感じで癒されますよ。帰宅後に少しずつ作っているほか、休日にも楽し んでいます。また、アウトドアも大好きです。キャンプに行って、渓流釣りをして、魚を焼いて食べたりしています。私どもは金曜日が休診日なのですが、金曜 日がお休みの人は少ないので、どこに行っても貸切状態というのがいいですね(笑)。
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