歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
医療法人社団 マリン小児歯科クリニック 國本 洋志 理事長
神奈川県茅ヶ崎市は東京、横浜のベッドタウンとして人気が高く、人口が増加し続けている街である。湘南海岸の一翼を担う観光都市としても知られており、サーフィンなどのマリンスポーツやサイクリング、ジョギングなどを楽しむ人で賑わっている。
マリン小児歯科クリニックはJR東海道本線の茅ヶ崎駅から徒歩1分の場所に1983年に開業した歯科医院である。「こどもの口の中の小児科医院」と称し、一般的な歯科診療のほか、予防歯科や矯正歯科にも力を入れている。
今月はマリン小児歯科クリニックの國本洋志理事長にお話を伺った。
医療法人社団 マリン小児歯科クリニック 國本 洋志 理事長
プロフィール
- 1947年 神奈川県 生まれ
- 1975年 東京医科歯科大学 卒業
- 1975年 鶴見大学歯学部附属病院小児歯科 勤務
- 1983年 マリン小児歯科クリニック 開設
開業に至るまで
歯科医師を目指されたきっかけはどのようなものだったのですか。
もともと小児科の医師を志望していました。しかし、私が受験生の年は大学紛争の影響で、東大の入試が中止になったのです。ほかにも入試が中止になった大学があり、選択肢が少なくなってしまったのですね。私の場合は家庭の事情から国立大学に進学せざるを得なかったので、入試が中止にならなかった東京医科歯科大学の歯学部に入学したのです。当時は月謝が1000円でしたよ。そういう理由で選んだ仕事でしたが、今ではどこかに縁があって、決められるべくして決められた進路だったのだと思っています。
大学時代はどういう学生生活でしたか。
大学6年間を通じて、家庭教師と配膳人のアルバイトをやっていました。配膳人とはいわゆるボーイのことです。人材派遣の会社に登録し、そこから結婚式場などに派遣されていくのですね。中華街のレストランや色々なホテルにも行っていましたよ。厨房のスタッフは私のことをアルバイトではなく、プロの配膳人だと思っていますから、容赦ない声が飛んできたりしました。歯学部はいい育ちの人が多かったですし、そういう意味では世界が広がったアルバイトでしたね。人と違う経験ができたのは良かったです。
勤務先を選ばれた理由はどんなことだったのでしょうか。
もともと小児科医になりたかったので、小児歯科を選んだのは自然の成り行きでした。当時は小児歯科という分野が誕生した頃で面白くもありましたし、子どもも虫歯も多かった時代ですしね。しかし、東京医科歯科大学では2年間勤務するか、大学院に進学しないと、助手になれなかったのです。大学院は授業料が必要ですし、どうしようかと思っていました。そんなときに、鶴見大学小児歯科の大森郁朗教授に「来てくれたら、すぐ助手にしてやる」と声をかけていただいたのが入局のきっかけです。
開業しようと決断されたいきさつはどんなことだったのでしょう。
最初は開業する予定はなく、小児歯科を徹底的に学ぼうと考えていました。忙しかったですが、充実していましたね。しかし、父が病に倒れたのを機に、母と相談して、大学を辞める決意をしたのです。既に結婚して、子どももいましたが、そこで開業という道を選んだのですね。開業するからには小児歯科という専門性を高くした歯科診療を行いたいという希望を持ち、物件を探しました。
開業地はどのように選ばれたのですか。
藤沢市に住んでいましたので、東海道本線沿線や小田急江ノ島線沿線で探していました。こだわったのは駅前という立地です。歯科はきちんとした治療をすると、その患者さんのニーズはなくなりますが、駅前でしたら、ほかの患者さんが来院されるからです。
駅前は家賃が高いというコストはありますが、患者さんの開拓という面ではメリットがありますね。大森教授からも「小児歯科で開業するなら、小児歯科という存在を患者さんのご家族が認識できるような街、デンタルIQが高い街がいい」と勧められていました。結果として、茅ヶ崎駅前の物件に決め、1983年に開業しました。東京ディズニーランドと同じ年の開業なのですよ。今年は開業30年になります。
開業にあたって、どんな苦労がありましたか。
ずっと大学病院に勤務していましたので、開業ノウハウを知らなかったことが苦労したことですね。歯科材料の会社の人たちからも「小児歯科だけの開業は無理ですよ」と言われていました。小児歯科という分野の認知度を上げていくことが難しかったですね。茅ヶ崎市の条例でも「小児歯科」と標榜することが許されず、今も正式名称はマリン歯科なのです。小児歯科だけでやっていくことの覚悟が問われましたし、不安もありました。
不安をどのように乗り越えられたのですか。
現在、私どもは卒後臨床研修施設の指定を受けていますので、歯学生や研修医に話す機会が豊富にあります。私は「一般歯科でも、小児歯科でも、口腔外科でも、矯正歯科でも、100%できる歯科医師はいない。どこかが8割だったり、6割だったりする。だからこそ、コアな部分を作りなさい。この技術は誰にも負けないというところまで頑張りなさい」とよく言っています。確かに、最初は不安でしたが、私は小児歯科というコアな部分の中で負けない技術があり、開業しても認知していただけるのではないかと思うようになっていきました。一般歯科のみで戦える歯科医師もいなくはないですが、これからの競争時代にはやはりコアな部分が必要でしょうね。
レイアウトや内装などのこだわりをお聞かせください。
キャビネットなどを低くして、子どもの目線に合わせてあります。30年前の開業ですから、リフォームは既に何度も行っていますよ。最近は待合室を改装したところです。小児歯科はサーカスのようなもので、全部が全部、小児歯科でないといけません。サーカスにはピエロがいて、動物がいて、空中ブランコがあり、どれもがサーカスの要素なのですね。小児歯科ならではの技術もありますが、あくまでもサーカスのような環境の中で技術を身につけていくことが大切だと思います。
開業にあたってのコンセプトとはどのようなものだったのですか。
サーカスのような歯科医院であることと医原病防止のための努力をするということですね。歯科検診の際は治療の跡をほかの歯科医師が見ているものです。私どもの歯科治療は技術的に高いレベルにあると自負していますが、悪い意味で「どこでやったの」と思われないようにしたいですね。例えばラバーダムというマスクがあります。これをかければ唾液も出ず、危険を防止します。私どもでこういった歯科治療を受けていれば、仮に引っ越すことになったとしても、親御さんは引っ越し先で同じような歯科医院を探すはずです。そのように、親御さんを含めた形での共感を持たせる小児歯科診療を行うことを目指しています。
診療方針
診療方針をお聞かせください。
日本国内で最高レベルの小児歯科診療をしてさしあげたいと思っています。普通の歯科医院は患者さんと歯科医師の関係ですが、小児歯科はそこに親御さんが入ります。子どもさんに説明する以上に、親御さんに納得していただくことが大事ですね。子どもさんがいくら来たいと言っても、親御さんが反対したら、子どもさんは一人では通院できません。したがって、親御さんへの説明能力を向上させる必要がありますし、親御さんへの情報発信はより積極的に行いたいです。
子どもは2歳でもプライドがあります。でも5歳になっているのに、抱っこしようとしたり、何でも「ママがやってあげる」と言うお母さんもいるのです。そういう状態で育つと、依存心が高くなり、わがままな子になってしまうでしょう。私どもでは「一人で座ってごらん」、「一人でやってごらん」という声かけをしています。そうすると、2歳でも泣かずに、治療を受けられるようになるのですよ。
最近は働く女性が増え、私どもでも15年ぐらい前から午前中の来院患者数が減ってきました。午前中は3歳児以上は保育園に行っているようで、来院するのは1、2歳児ばかりです。そこで、仕事帰りのお母さんが子どもさんを連れてこられるように、診療時間を遅くスライドさせました。これからも時代のニーズに合わせて、対応していくつもりです。
経営理念
経営理念をお聞かせください。
一般の歯科でしたら、歯科医師と歯科衛生士が最低限1人ずついれば開業できますが、小児歯科の場合はスタッフの数が必要ですので、人件費がかかります。それでも、私よりもスタッフの方が居心地の良い仕事環境を得られるようにすることが経営理念です。
お蔭様で、皆、長く残ってくれています。長いスタッフがいることは、経営面から言えば辛いのですが、ベテランがいる歯科医院は患者さんに安心をもたらしますし、いいものですね。
増患対策
どんな増患対策をなさっていますか。
ホームページを作っているほかは看板も出していないですし、特に宣伝はしていません。来院動機のアンケートを取りますと、約50%が口コミで、インターネット経由が30%から40%程度です。公園デビューでの口コミが有り難いですね(笑)。校医にもなっていますが、私が担当しているのは私どもから遠いエリアの中学校ですので、増患には繋がっていません。近くの幼稚園での歯科検診に伺いたいのですが、こればかりは難しいですね。
スタッフ教育
スタッフ教育について、お聞かせください。
歯科医師教育にあたっては教育するというよりも私の方が教育されていると感じています。技術に関しては勉強会を頻繁に開催することで習熟してもらっています。
朝礼では「What’s new?」のスピーチをしますが、私からは人間としての生き方などを伝えていますね。
最近、30代以下の小児歯科医師は少なくなりました。小児歯科学会も50代以上が6割を占めています。少子化ですし、虫歯も減ってきたことが背景にあるのでしょう。一般歯科で小児歯科を標榜しているところも少なくありません。でも、少子化だからこそ、親御さんは質の高い歯科治療を求めているのです。きちんとした小児歯科専門医に診てほしいというニーズがある以上は応えていかなくてはいけません。
歯科衛生士や事務スタッフなどの教育についてはいかがですか。
歯科衛生士や事務スタッフはパートごとに主任を決め、スキルに関しては主任が中心となって教えています。私は患者さんをどのようにおもてなしするのか、人としてどう接するのかという話をします。仕事は自分を表現するための一つの場です。長くやっていれば、スキルは自然に上達するものですが、仕事という場を通して、いかに自分を成長させるかを考えないといけません。しかしながら、私自身もまだ完成されていません。
65歳になりましたが、もっと考えるべきことはありますし、どこかで納得しないといけないのでしょうが、私自身という素材をどう使っていこうかと模索中です。
私どもに勤めていたスタッフが「元マリ会」という集まりを開催しているのですが、先日の集まりでは50人もの元スタッフが集まってくれたのですよ。高知や京都から駆けつけてくれた人もいました。このチームマリンこそが私どもの財産であり、30年続けてきた意義があったと感謝しています。
今後の展開
今後の展開について、お聞かせください。
これまで分院の展開を考えたこともありますが、経営に追われることになりそうだったので、止めました。私が何人もいるわけではありませんので、一カ所を充実させていこうと思ってきたのです。これからも良いスタッフを集めて、良い小児歯科診療を追求したいと考えています。
開業に向けてのアドバイス
開業に向けてのアドバイスをお願いします。
私が開業した頃とは時代が違いますし、投資資金などの経営面も複雑になっています。しかし、技術的なところで言えば、コアを持つべきですね。今はどこの歯科医院でも接遇力が高いし、治療も丁寧です。丁寧な治療の裏付けとなるスキルもあります。
そこで大事なのが人間力なのではないでしょうか。歯科医師がどんなふうに生きてきたかが問われます。医療は人間対人間のものなので、医療者は人間性豊かな人間になるべきです。特に小児歯科は子どもだけでなく、親御さんを教育していく覚悟を問われます。私自身もまだできていないことがありますので、自戒を込めてアドバイスさせていただきました(笑)。
プライベート
プライベートの時間はどんなことをして過ごしていらっしゃいますか。
40代はテニスをしていましたが、50代になったときに、子育てが終わった妻と新しい趣味を持とうと話し合ったのです。妻は声楽を始めたのですが、私は英会話とゴルフスクールに通うようになりました。一方で、居合道も始めたのですよ。道場が木でできていて、素晴らしい建物だったのですが、残念なことに先生がお亡くなりになり、休止中です。でも、そのうち必ず再開したいと思っています。60代になったときには音楽を始めたくなって、ドラムを選びました。手足をばらばらに動かすのは難しいですね(笑)。