歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~
金尾好章歯科医院 金尾 好章 理事長
高野山や熊野古道で知られる和歌山県は海と山の自然の宝庫。その中にある和歌山市は人口40万人の地方都市です。この地に開業して35年「健康を守り育てる診療室」「より低年齢からお口の健康にかかわれるか」を掲げた予防型の診療室。この医院コンセプトが患者さんにもスタッフにも浸透し、開業以来患者さんは現在も増え続け、和歌山では屈指の患者数を誇るクリニックに成長させた金尾理事長にお話を伺ってきた。
金尾好章歯科医院 金尾 好章 理事長
プロフィール
- 1949年 和歌山県 生まれ
- 1975年 日本大学 歯学部 卒業
- 1975年4月 日本大学松戸歯学部付属病院 口腔診断科 入局
- 1977年 同病院 退職
- 1977年9月 金尾 歯科医院 開設(和歌山市友田町)
- 1984年 現在地 (和歌山市吉田)へ診療室移転
【開業に至るまで】
■歯科医師を目指されたきっかけ
母が薬剤師であり、学校保健等で地域活動していました。しかし、今一つ資格を活かしきれていない悔しさから、息子2人を医療系への進路誘導が強かったと思えます。自身では高3になってから資格を活かせる歯科医師を目指そうと思いました。弟も同じ方向に進み、和歌山県岩出市にて歯科医院を開業しています。
■大学・大学院時代のエピソード
当時の日本大学歯学部へ入学はしたものの、毎日、出欠はとられるし、カリキュラムもぴっちり組まれていてかなり厳しく、えらいところにきてしまった~と、つらい思いも感じていました。
部活は車が大好きであったこと、自動車部に入るとモータースポーツもできると思って入部。その後、自動車部が持っていた2tトラックを休日に持ち出し、引っ越しのアルバイトをして小遣いを稼いでいた頃もありました。
■勤務先に大学の付属病院を選ばれた理由、学んだ事
1975年に日本大学歯学部を卒業後、既に千葉県松戸市内に日本大学松戸歯学部附属病院が開設されていました。建物も綺麗で設備も整っていましたし、沢山の患者さんが来院していましたが、新設間もない病院のため勤務歯科医師の数がまだ少ないということで、自動車部の先輩から声をかけられ、当時、聞きなれない名前であった“口腔診断科”に入局しました。入局後は、特に患者さんが多く、初診患者さんの急性症状の緩和、抜髄、抜歯、小児う蝕の洪水のような日々。まるで開業医と同じような多くの臨床経験ができた上、大学の先輩たちが多く勤務する付属病院ですから、他科へも自由に出入りできたのを活かして、先輩たちの教えを頂く機会も多かったと思います。
■開業しようと決断されたいきさつ、その後の転機などもお願いいたします。
病院で勤務していた時、学生時代からお付き合いしていた彼女と結婚をしました。
これを機に将来の絵を描こうと開業を考えて東京から実家のある和歌山に戻りました。ただ、開業に向けての計画をじっくり練る間もなく、大学で仕事をしながら3か月程で開業の準備をほとんど業者任せでしてしまいました。
開業資金も自己資金は全く無く、和歌山に支店のあった都市銀行ですべて借入しました。その内の500万円は運転資金と考えていましたが、これが甘い考えだったことが、まもなく分かりました。開業した場所は国鉄(現JR)和歌山駅近くの目立たないビルの3F。25坪程度の診療室にチェアー3台、歯科衛生士1人 技工士1人と受付の4人、和歌山で初めての小児歯科としてスタートしました。当時の医療機関は開業さえすれば患者さんが来ないなんて考えられなかった時代でしたが、周りは歯科医院の密集する地域。しかも広告も出さず(歯科医師会で規制されていました)に、初めの1年は患者さんがほとんど来院して頂けませんでした。その時はさすがに、開業を急ぎすぎた!、地元の事情をもっと研究すべきだった!と反省し、悩んだ時期もありました。
当然、経営は非常に苦しく、当初予定していた運転資金があっという間に底をつき、新たに運転資金の融資を申し出たことを今でも鮮明に覚えています。
臨床経験も未熟だった私自身を含め、スタッフにも専門知識、技術の研鑽は必要と考えていましたので、苦しかった当時からも、歯科衛生士やスタッフを連れて小児歯科学会や、衛生士セミナー、講習会等を受けに頻繁に東京にも出向いて行きました。
昭和58年頃、歯列矯正の実習セミナーが大阪で開催されることを知人にご紹介いただき、月1回(土・日)で2年間の実習コースが受講できる機会を得ることができました。偶然にもエッジワイズ・ストレートワイヤーテクニックが日本に入ってきて間もない頃で、これからは「小児歯科+歯列矯正」だと日々診療で感じていましたので、当時で約300万円をセミナー受講費用と矯正専用のインスルトメント類へ使いましたが、その費用と時間への投資が、後に大きく役立ったと今になっても常に思います。
■現在の場所に移転されたいきさつをお願いいたします。
最初の開業から7年目、以前の場所から約100m先に、現在の開業場所である土地が売りに出ていました。土地は90坪、大通りに面した申し分のない物件で、土地と建築費、機器類の設備投資の合計で2億円を越す予算。相変わらず当時も貯えはほとんど無く取引銀行に相談しましたが、けんもほろろに断られました。でも、なかなか出ない物件だけに何としても手に入れたいと諦めきれませんでした。その頃、偶然にも、当時の医院には和歌山の地銀である紀陽銀行の行員さんが多く治療に来院してくれていまして、その中のおひとりに相談したところ、なんと、全額融資を受けることができました。
開業当時から、「小児歯科」を強く押し出している医院などは無く、まして「小児の定期検診」など、取り組んでいる医院は皆無でした。「小児歯科」「定期健診」も口コミで少しずつ広がり、乳歯ではむし歯が多かったが、小児定期検診を受けることで、丈夫で綺麗な永久歯が生てくる!と患児の親御さんが気づきはじめた頃でもありました。そんな影響からか移転して3年ほど経った頃には、医院はさらに小児患者さんで溢れ返っていました。
その後、小児歯科学会認定医制度が発足し、和歌山県内では第1号の小児歯科認定医に。後に同じく小児歯科専門医も認定いただくことが出来ました。
また、大学付属病院退職後も「口腔診断科」研究員として長くお世話になり続けていた関係から、日本大学松戸歯学部教授から、大学卒直後の臨床研修医制度が厚生省の制度としてできることを知らされ、大学付属病院の卒後研修施設として認定をとることを勧めていただきました。なんとか基準をクリアし、和歌山県下では初めて歯科医師臨床研修医施設として認められ、同時に厚生労働省の歯科医師研修指導医の県下第1号にも認定されました。
■建物の設備やIT導入についてお聞かせください。
当初は3階建てでのスタートでしたが、何度かの増築・改装の末、現在は4階建てクリニックとなりました。2階は初診の患者さんや一般のGPとして診療を行う場所、3階は「予防歯科健診室」として主に成人の歯周病予防のための定期メンテナンスを、一方の小児歯科ゾーンでは小児の定期健診や、初期う蝕の治療、親御さんへの専門的な情報提供場所としての役割を分担させています。このように来院する患者さんの年齢層、診療目的別に分けて治療や予防業務を徹底的におこなっています。もう一つ、3階にはオペ室として1台のチェアーも配置し、インプラントや難易度の高い埋伏智歯抜歯も行える室を配置しています。
CTも導入していますし、全てのチェアーがLANで結ばれていて、チェアーサイドで診療内容の入力ができるようになっています。それによってチェアーサイドで患者さんにも口腔内写真やレントゲンも含めて診療内容をお見せできるようにしています。
小児歯科のフロアでは洞窟探検をイメージした子供待合室とチェアー天井部にプレイステーションのモニターを設置、子供が洞窟待合室モニターで観ていた映像の続きを、診療室内の小児チェアーの天井に設置してあるモニターで続きをまた観られるようにしてあります。
その他にも、各チェアーでおこなわれている診療の様子や、院長はじめ勤務医、歯科衛生士がどこのチェアーで診療しているか、スタッフの動きを受付にてモニタリングできるようにカメラを設置しています。
【経営理念】
院長の考え、医院コンセプトを患者さんや外部にできるだけ発信するよう心がけています。
まずは医院の特徴をはっきりと見ていただくことが大切です。前述のように基本的な考えは「健康をまもり育てる診療方針・予防型の診療室」を理念としています。お陰様で当医院には開業当初に小児患者さんとして治療に来院いただいていた患者さんが、現在は親御さんとなり、その子供さんやお孫さんを連れて来院いただいている方が今や非常に多いです。
現在、歯科衛生士学校に通いながら院内で実習中の3人の学生さんも、幼稚園の頃から小児歯科健診や歯列矯正の患者さんとして来院していただいていた当時の子供さんです。今までも患者さんが歯科衛生士になり勤務いただいた方も多くいますし、歯科医師を目指しすでに活躍している方もいます。患者さんにも、スタッフにも歯科医として、院長として厳しいことも要求いたしますが、日々頑張ってくれているスタッフには医院としても可能な限り期待に答えていかないといけないと常に考えています。
【診療方針】
より低年齢からその人のお口にかかわっていくクリニックを目指しています。早期発見早期治療ではなく、悪くならさないためにはどうするか、抜かなくていいためにはどうしたらいいか、慌てて削らない、慌てて抜かないように心がけています。
■健康手帳とはどのようなものですか
患者さんに長く来ていただくためにも、どんな治療をしているかが帰宅してもわかるようにするため、カルテの一部を持ち帰ってもらう感覚で、その方の口腔内写真等を貼りつけた健康ノートをそれぞれ作成し、患者さん一人一人に手渡しています。定期健診時には新たな1ページを追加する。矯正治療中の患者さんには、来院ごとにその日の治療内容をメモしてノートを親御さんに返すことにしています。
■増患対策
全くの初診患者さん(新患)は、年間1500~1800人程来院していただいていますが、実のところ増患対策などは何もしていないんです。ほとんどが口コミで、DMによる定期検診案内も一切していないのです。
医療機関から増患対策を積極的に行うのは患者さんに失礼だと思っています。
当クリニックのホームページは患者さんへの増患のための売り込みではなく、医療従事者に見てもらって当クリニックで働きたくなるような内容にしています。
【スタッフ教育】
ドクターも衛生士も日々の勉強が大切だと思っております。
講習会やセミナーにも積極的に参加して頂いていますし、普段の診療や治療の方向付けをするための図書も多く揃えてあります。学んだこと、知識や技術の研鑽に無駄なことは何一つありません。それは、自分の為であり患者さんの為、医院のためだけに行動しているのではありません。得た知識や専門技術は誰からも取られることなく、その方の身に付く、その方の仕事の幅、奥行きが広がり、人間性にも磨きがかかるすばらしいことです。
そして、スタッフには医院の経営的な数字を出来るだけガラス張りにしています。それは、年に1回マネージメント勉強会として、患者数や売上、院内の改装や新しい機器の購入等も含めて、スタッフの人件費まで含んだ予算や、今後の医院経営の見通しなども含めて報告しています。
【今後の展開】
お金儲けに走ったり、分院展開は考えておりません。現在のクリニックが患者さんにとって、もっと便利になるようにするとか、患者さんのニーズに応えてメガクリニックにすることで患者さんがより満足していただけるようにしていくことは貪欲に取り組み続けたいと思っています。それは、患者さんにもスタッフにも、院長はまだまだ前進し続けると感じてもらうための積極的なアピールでもあります。
【開業に向けてのアドバイス】
今の若い歯科医師は、大学教育を通じて最新の知識や技術を教授されている反面、これからの歯科業界が厳しいという否定的な考えをも植え付けられている傾向もあります。歯科医師という職業が食べるための仕事であって、患者さんとの関わりや、仕事の夢を精一杯追い続けることに、情熱や喜びを感じる人が以前より少なくなったとも感じております。この仕事は1年や2年で自分の行った仕事がきちんとできたかどうかの結果は出ません。少なくとも10年、20年経過したときに初めて見えてくる仕事だと思います。
もう一つは、得意分野を持つことです。インプラントでも何でもいいから、認定医や専門医など専門性の高い資格を取って、その地域ではその知識やスキルでは誰にも負けない、地域でナンバーワンになってやるという執念に近い思いが必要です。よく耳にする田舎だからとか、地方はデンタルIQが低いとかは全く関係ありません、それらは言い訳のようにも聞こえます。
今やインターネットの時代、物も情報も都会と同じだけ手に入れることができます。それは歯科医院が患者さんに、医院のコンセプトや院長の考えを院内ですら発信していないことが多いと考えられます。きっちりと患者さんに発信し続けていけば自然と患者さんの意識は育ち、同じ考えの患者さんやスタッフも増えてゆくのが自然な姿です。きっと難しいことも多くありますが、懲りずに執念深く自らが院長として先頭に立って頑張ることしかありません。
【プライベート】
学生時代の自動車部の流れで、50歳位までは自動車レースのラリーにドライバーとして出場したり、ラリー競技会を地元和歌山県内の山岳地で開催、主催責任者として競技長や事務局長として活動を積極的に行いました。海外のラリーにも友人とプライベート参加し、中でもイギリスで開催されていたWRC(世界選手権ラリー)シリーズ最終戦ラリーには7回出場しました。
自分の実力は本来そこまでで無くても、ぜひ世界の頂点を覗いて見たいとの好奇心と、何でもやり始めると、とことん頑張りすぎてしまう、困った性格です。その好奇心やテンションの高い気持ちが仕事に向いている時はもちろん結構ですが、趣味でも実力以上のことにトライしてみたくなる悪い癖です。この海外遠征のラリー競技ではずいぶんお金も使いましたが、クルマと関わる人との出会い、初めての海外で外国人とも競技を通じて戦いコンペティションすることなど、到底、日本国内では経験できない貴重な時間を過ごすことができました。今では競技に出る体力と気力、そして時間もありませんが、週末には家内と愛車で大阪や神戸へドライブがてら食事に行ったり、60歳から始めたゴルフを少しでも楽しみたいと思っています。