フリーランス歯科衛生士 【Beaute】 佐藤さん&辻さん インタビュー第1回 「フリーランス二人の出会い」

フリーランス歯科衛生士インタビュー

【Beaute】 佐藤さん&辻さん 第1回
「フリーランス二人の出会い」

プロフィール

佐藤 朱美

佐藤 朱美

1972年に北海道で生まれる。
1992年に日本医学院歯科衛生士専門学校を卒業後、東京都の松尾歯科医院に勤務する。
その後、大阪へ移り、2件の歯科医院の開設に携わる。

【資格】

SJCDコース終了、JIADSコース終了、フェイシャルリンパセラピスト、ビュ-ティーアドバイザー、日本歯科審美学会認定ホワイトニングコーディネーター、日本歯科TC協会トリートメントコーディネーター Master、日本アンチエイジング歯科学会理事、日本アンチエイジング歯科学会認定歯科衛生士、日本歯科TC協会関西支部支部長

【得意分野】

技術スキルアップ指導、接遇、医療コンサルマネジメント、美容商品プロデュース

辻 紗耶加

辻 紗耶加

1986年に奈良県で生まれる。
2006年に奈良歯科衛生士専門学校を卒業後、一般歯科に勤務する。
2009年に大手フランチャイズホワイトニング専門店に転職する。
自費ケアの平均売上300万円をキープし、5年連続売上No.1を達成する。
店長を2年務めた後、独立する。

【資格】

日本歯科TC協会トリートメントコーディネーター Master、ホワイトニングコーディネーター、日本アンチエイジング歯科学会 理事、JPSA認定ベーシックプロスピーカー、フットセラピスト、歯ブラシコーディネーター、CHP研究会 HTPコース終了

【得意分野】

カウンセリング、コーチング、スタッフモチベーション研修、医療コンサルティング

歯科衛生士を目指したきっかけを教えてください。

佐藤 朱美

佐藤

小さい頃から歯科医院通いをしており、歯医者さんで働く人達に憧れを感じていて、私も歯科に関わる仕事がしたかったので、歯科衛生士になろうと、北海道から上京して専門学校に入学しました。
辻 紗耶加

私は母に「女性は資格があれば生きていけるよ」と言われたのがきっかけですね。だから、最初から志が高かったわけではありません(笑)。
高校生のときに歯科医院でアルバイトをしたんですが、そのときに歯科衛生士の仕事を知り、患者さんと接して、コミュニケーションを取る仕事はいいなと思ったので、歯科衛生士を目指しました。

これまで勤務された歯科医院のことを教えてください。

佐藤 朱美

佐藤

最初に勤めた歯科医院を選んだきっかけは治療に通っていた歯科医院の院長の紹介です。そこに9年弱、勤務しました。
通常の歯科衛生士業務を行っていましたが、その歯科医院は日本で初めてホワイトニングやラミネートベニアの技術を導入したところでしたので、ホワイトニングや審美を深く学ぶようになりました。
辻 紗耶加

最初に勤務した歯科医院は「クリニカルヘルスプロモーション」をコンセプトに、患者さんとしっかりコミュニケーションを取り、患者さんに納得していただいて治療を行うというところだったんです。その考え方に共感して、選びました。
私は奈良県の出身で、奨学金で専門学校に通っていたんです。そのため、3年間は奈良の歯科医師会に所属する歯科医院で働かないといけなかったんですね。その後は27歳まで大手歯科フランチャイズの歯科医院に勤務しました。
私は28歳で歯科医院を開業したいという夢があり、その実現のための「修行」としての勤務でしたね。
最初の歯科医院では予防専門の歯科衛生士業務を頑張っていましたが、転職したときに審美を学び、患者さんから「歯を出して笑えるようになったよ」、「笑うのが苦でなくなったよ」と言っていただいて、喜びや素晴らしさを実感したことが審美の道に進むきっかけになりました。

フリーランスとして働こうと思ったきっかけを教えてください。

佐藤 朱美

佐藤

約4年半前に、フリーランスになりました。
それまで色々な経験をしてきたのですが、心機一転しようと思った時に、私には歯科衛生士の技術がある。
だからこれまでの経験を活かして、フリーランスとしてやろうと思いました。
辻 紗耶加

28歳で歯科医院を開業するという目標を実現するために、27歳で勤務先を辞めたのですが、お金も人脈もなかったので、普通なら開業なんてとんでもないことでした。
でも、私はあれもこれも揃えながら準備をするタイプではなく、まずは何もない状態に自分を置かなければ次のステップに進めない性格なんです。
その後、知人のドクターからの依頼があり、自費補綴の契約率を上げたり、スタッフを育成したりしながらフリーランスの道に入っていきました。

 

フリーランスになった頃、どんなことが辛かったですか。

佐藤 朱美

佐藤

つらいというよりも夢中でした。当時はいくつかの歯科医院を掛け持ちで勤務していましたが、色々なことをやってみたくて、何か商品を作って売ろうと思いついたのがアロマ商品です。
アロマが昔からすごく好きだったんです。家の前にたまたまアロマショップがあり、こんな商品があったらいいなと考えていた企画を持っていって、作ってもらい、販売することになりました。
今なら考えられないような行動ですね(笑)。
辻 紗耶加

私は辛いことはなかったですよ。フリーランスの期間はそれほど長くはなく、すぐに歯科医院を立ち上げる準備に取り掛かりました。
私はずっと同じ場所で同じ作業をしているより、色々なところに行って、自分で展開していきたかったんです。ワクワクの気持ちばかりでした。
自由に対する欲求が強いのかもしれないですね。時間で縛られていない感じが楽しいし、好きなんです。
何もすることがなかったり、何もできない状態になれば、苦しい、辛いという感情も出てきたのかもしれませんが、目的が明確だったのでまっすぐ進んでいきました。

お二人の出会いについて、教えてください。

佐藤 朱美

佐藤

ある方から「フリーランスの歯科衛生士で開業したいという人がいるから、会ってみないか」と言われたんです。それが辻と出会ったきっかけでした。
あっという間に意気投合し、同居生活が始まりました。
辻 紗耶加

私は勤務先を4月に辞めており、6月に佐藤と会いました。私の自宅は奈良だったので、大阪の佐藤の家に同居することになりました。
いつも二人で仕事をしているので、古くからの付き合いだと思われる方が多いのですが、出会ってからまだ4年弱なんですよ。
突然、同居って、びっくりしますよね。でも私たちは目的、目標、思いが一緒だったので、すぐに意気投合し、出会って1カ月で一緒に住むようになりました。
当時は本当にお金がなくて、20円ぐらいのお蕎麦をささっと食べて、あとは朝から晩までずっと仕事の話をしたり、試行錯誤しながら商品を手作りしていました。
大変だったけど、すごく楽しかったですね。今でも何かあったら、あの頃に戻ろう、原点に戻ろうと思っています。

開業を決めてから軌道に乗るまで、大変なこともありましたか。

佐藤 朱美

佐藤

歯科医院として登録するには歯科医師を院長にしないといけません。
多くの歯科医師に依頼をしましたが、リスクがあると断られたり、膨大な金額で契約してくれと言われたこともありました。元手になるお金もなく、銀行にも融資を断られたりして、スムーズにはいきませんでしたね。
でも、真面目にやっていれば、道は開けます。今の中井宏昌院長には私たちの思いをしっかり伝えて、理解していただき、協力していただけることになりました。
最初は誰からもお金を借りずに、私物を売ったりして、お金を作って、それを資本にして、また次のことをするといった自転車操業をしながら、資本を少しずつ増やしていきました。
アロマ商品も今でこそ、工場で1000個から2000個単位で作ってもらっていますが、最初は瓶で手作りして、お店で売ってもらっていたんです。
それでも良いものを提供したいと思っていましたし、良いものを作って売れば、買っていただけるという気持ちがありました。単純だけど、確実な仕組みを作りたかったんですね。
事業を始める人は先に儲けを考えるようですが、私たちは先にgiveがありました。地に足をつけ、信念を持ってという思いで続けてきたのが今に繋がっているのではないでしょうか。

 

共同経営という形ですが、意見の食い違いや喧嘩はないのですか。

辻 紗耶加

年に1、2回は喧嘩します(笑)。金銭的余裕がなくなってくると心の余裕もなくなってきて、ちょっとしたことでも気になったりしました。
「私ばかり頑張ってる」とか、「私の気持ちを分かってもらってないんじゃないか」とか。たまに「女性」が出るのは女性独特の感情ですかね。そんなときは二人で安いお蕎麦をすすりながら、一生懸命やってきた頃の初心に戻るようにしています。
周りの人たちからは共同経営は大変でしょうとか、揉めるでしょうとか、色々なことを言われますが、共同経営だからこそできることって、一杯あるんですよね。
ほんの些細なことですが、何かの用事があって、私が行けないときに、「じゃあ、私が行くわ」みたいなことができるし、すごくいいですよ。
佐藤 朱美

佐藤

人は皆、100%完璧ではないので、得意不得意があって当たり前だと思うんです。そういうときに互いの不得意なところをフォローして、お互いがサポートできるのは大きいですね。
フォローし合って100%の力ではなく、二人でやれば200%、300%の力になります。

開業を後悔したことはありますか。

佐藤 朱美

佐藤

やらなきゃよかったと思ったことはないですね。
誰も助けてくれなくて、手を差し伸べてくれる人もいなかったときは最悪でしたが、その頃と比べたら、自分の好きなものを作って、好きなことをやれるのは幸せです。
辛いときがあったから、今があるのだと思っています。
辻 紗耶加

開業は良かった点しかないです。
経営者になって良かったのは院長への感謝の気持ちが持てるようになったことです。
勤めていたときは、飲み会があれば、院長の横に座りたくないものだから、院長の横に座る誰かを決めるためにジャンケンしていたこともありましたけどね(笑)。働くスタッフにとっては、院長なんて少なからずそんな存在です。
でも今になって思えば、社会保険や税金など、本当に院長に守ってもらっていたんだなと思います。
経営者になって悪かった点を強いて言うならば、1年365日仕事をし続けているような責任感が必要になるということでしょうか。勤務していたら、頑張っていても、頑張っていなくても、安定した収入が確実にありますよね。
休日や有給休暇など、色々なところで守られているものがないことも悪い点でしょう。