歯科経営者に聴く - 難波歯科医院・小田原インプラントクリニック 難波正英 院長(前編)

歯科経営者に聴く(前編)

~第一線で活躍する理事長から学ぶ~

難波歯科医院・小田原インプラントクリニック 外観

 神奈川県小田原市は古くから交通の要衝、城下町として栄え、現在は小田原提灯、かまぼこ、梅といった特産物で知られている、県西部を代表する街である。
 難波歯科医院・小田原インプラントクリニックは小田原駅東口から徒歩6分の場所に位置する。1941年から3代にわたって地域医療に打ち込んできた歯科医院で、現在は手術室を完備し、難症例を含むインプラント手術を積極的に手がけている。

 今月と来月の2回にわたり、難波歯科医院・小田原インプラントクリニックの難波正英院長にお話を伺った。

難波 正英 院長

難波歯科医院・小田原インプラントクリニック 難波 正英 院長

【プロフィール】

  • 1973年神奈川県 生まれ
  • 1998年日本歯科大学 卒業
  • 1999年日本歯科大学附属病院臨床研修課程 修了
  • 1999年波多野歯科医院 勤務
  • 2003年臨床研修指導医資格取得
  • 2006年ISOI(国際口腔インプラント学会)インプラント認定医取得
  • 2007年難波歯科医院 勤務
  • 2011年医療法人慈正会 設立
  • 2014年東北大学大学院 修了

【学会】

  • ISOI(国際口腔インプラント学会)インプラント認定医
  • 臨床研修指導医
  • 日本補綴歯科学会
  • 日本口腔インプラント学会
  • OJ(インプラントの学会)
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開業に至るまで

歯科医師を目指されたきっかけはどのようなものだったのですか。

父が歯科医師でしたので、私も自然と歯科医師を目指していました。小さい頃から手先が器用で、図工や美術が得意だったこともありますが、歯科医師という職業が持つ社会的な意義に遣り甲斐を見出したということが大きいですね。

学生時代に思い出に残っていることはありますか。

小学生のときからサッカーをしていて、高校ではバレーボール部だったのですが、大学ではまたサッカーをしたくなり、サッカー部に入りました。日本歯科大学は強豪で、オールデンタルと呼ばれる全日本歯科学生総合体育大会で優勝をしたこともあります。私もフォワードとして、チームに貢献できました。また、陸上部にも入り、400メートルの選手でした。私の祖父はもともと法政大学にいて、箱根駅伝を走るような陸上選手だったのです。それが日本歯科大学に引き抜かれ、3年連続で箱根駅伝の区間賞を取ったレジェンド的な存在でした。祖父の父は獣医師でしたが、祖父はそういう縁で歯科大学に行き、歯科医師になったのですね。レジェンドの孫だということで、私も陸上部から大歓迎されたのですが、私としてはサッカーの方が好きでしたし、3年生のときのオールデンタルの400メートルで優勝したのを置き土産に陸上部を退部し、サッカーに専念しました(笑)。

卒業後は研修を大学病院でなさったのですね。

私は臨床研修が努力義務化されたときの1期生なので、最初の半年を大学病院で、次の半年を開業医の歯科医院で研修するというのが一般的だったのです。大学病院では口腔外科や麻酔科など、大学から離れてしまうと診ることが難しい分野を中心に勉強しました。

波多野歯科医院に勤務されたのはどうしてですか。

私が卒業した年の臨床研修は努力義務でしたので、同級生の中には大学病院で研修せず、最初から歯科医院で研修した人もいました。その一人である同級生が波多野歯科医院で研修していたので、彼の推薦もあり、私も彼から1年遅れで波多野歯科医院に入職しました。入職してみると、勤務環境は厳しかったですね(笑)。1日中、歯科のことばかり考えていました。土曜日や日曜日は外部の勉強会に行ったり、波多野歯科医院内でのインプラント研修を受けたりして、全く休みがありませんでした。

インプラントには早くから興味があったのですか。

まだインプラントには賛否両論あった頃でしたが、波多野尚樹理事長が手術された患者さんが検診に来られたときに見学させていただいたところ、綺麗に機能していたのを見て、将来性を確信できました。父からもこれからはインプラントを身につけた方がいいと言われていましたし、私も学んでいくことにしました。

勤務医時代はどのようなことが勉強になりましたか。

インプラントはもちろんですが、広い範囲の勉強をさせていただきました。波多野歯科医院のグループ内には3つの歯科医院があり、20人ほどの歯科医師が在籍していたのですが、私は本院に勤務し、本院ならではの経営的なことまで教えていただきました。

継承を決意された動機について、お聞かせください。

歯学部に入学したときから継承するつもりでいました。決意したのはインプラントをはじめ、どんな症例でも診られるという自信がついたときですね。

継承にあたり、立地は変えていないのですか。

祖父の代からずっとこの場所で開業しています。継承にあたり、改めてこの場所を見たときに立地がとても良いと感じました。歯科医院の立地としては市街地と住宅地の境目がいいのです。波多野歯科医院でも同様でしたが、市街地と住宅地の両方から患者さんにいらしていただけるのがいいですね。

継承にあたってはどんな苦労がありましたか。

私がすぐに全てを継承したわけではなく、当初は父と一緒に診療にあたっていました。父とはお互いの治療に干渉しないという不文律のようなものがあり、特に問題はなかったですね。スタッフは父が集めた人たちでしたが、こちらも問題なかったです。スタッフは少しずつ入れ替わり、今はようやく落ち着いたところです。苦労と言えば、私がこちらに戻ったときに、地元のフリーペーパーにAll-on-4(オールオンフォー)などの広告を大きく出したのですが、その反響があり、難症例の患者さんが多くいらしたということでしょうか(笑)。まだAll-on-4のさきがけの頃でしたし、技術的な苦労がありました。

継承にあたってのコンセプトなどをお聞かせください。

保険診療、自費診療にかかわらず、全てにわたって精度やレベルの高い治療を行いたいというものです。これは今でもそうですね。保険診療でも、自費診療とは材料こそ違うだけで、ほかは自費診療と同じように行うことを心がけています。

設計、レイアウトの工夫などをお聞かせください。

私がこちらに戻る直前に全面的な改装を行いました。知り合いの建築家にお願いし、相談しながら図面を作っていったのです。歯科を専門的に作っている建築家ではなかったのが良かったようで、白を基調にしたポルトガルの教会のようなイメージになっています。完全な個室は圧迫感がありますし、かと言ってチェアがずらっと並ぶのも抵抗がありましたので、半個室にしてあります。通路や化粧室も広いスペースを取っています。ユニットの下が石なのが斬新で、気に入っています。石だと床暖房が効きやすいのがいいですね。石焼き芋のような原理でしょうか(笑)。

気になる後編はこちら