歯科経営者に聴く - スマイル歯科 山上 敏 院長

歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~

スマイル歯科 山上 敏 院長

スマイル歯科

福岡県北九州市八幡西区の中心街である黒崎は国道3号線、JR鹿児島本線、筑豊電気鉄道が通り、北九州市の副都心となっている。黒崎駅前には近年、ビジネスホテルが相次いで開業したり、コムシティが完成するなど、かつての賑いを取り戻しつつある。 黒崎スマイル歯科はJR黒崎駅から徒歩6分、筑豊電鉄の西黒崎駅から徒歩4分の場所に2008年に移転してきた。患者さんの希望を第一にするための「初診インタビュー」を重視した歯科診療を行い、多くの患者さんから信頼を得ている。今月は黒崎スマイル歯科の山上敏院長にお話を伺った。

スマイル歯科 山上 敏 院長

スマイル歯科 山上 敏 院長

プロフィール

  • 1957年 福岡県 生まれ
  • 1985年 九州大学 卒業
  • 1987年 康和会 勤務
  • 1993年 中間スマイル歯科 開設
  • 1999年 黒崎スマイル歯科 開設
  • 2008年 黒崎スマイル歯科 移転
  • 【学会 他】
  • 日本臨床歯周病学会
  • 九州大学再生歯科・インプラント研究会

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【開業に至るまで】

■歯科医師を目指されたきっかけをお聞かせください。

親の作戦にはまりました。実家は果物屋で、私は男三人兄弟の真ん中です。両親は誰か一人ぐらいは医師にさせたかったようで、親の言うことに従順な私が歯科医師を選択しました。小学6年生のときの作文にも「歯科医師になる」と書いていましたね。

■大学時代のエピソードをお願いします。

不幸なことに、3浪目の年に父ががんで他界したのです。それで、大学では博多に出て、絶対に自活をしようと決めていました。大学時代はアルバイトとバドミントンに明け暮れましたね。アルバイトは家庭教師とガラスサッシの取り付けです。家庭教師は週に4日位でした。当時教えていた小田君が成人し、今、スマイル歯科に健診に来てくれています。彼の子供が当時の彼の年齢を超えたのは感慨深いものです。
スマイル歯科 ガラスサッシの取り付けは月に2、3回でしたね。実家の近所にあった叔父のガラス屋を高校時代から手伝い、新築のコンクリート住宅のサッシの取り付けをしていました。最後の方は軽トラにサッシを十分に積み込んで、弟と二人で北九州一円を回っていました。 バドミントンは3年から始めました。運動部の厳しい上下関係に憧れて、無我夢中で4年間、青春をしました。花の13期生です(笑)。毎回、練習時間より飲み会の時間のほうが長く、お蔭様でキリンラガービールの注ぎ方を覚え、今も毎日、晩酌をしています。今年、歯学部バドミントン部創立40周年記念講演が行われ、有り難いことに、開業医を代表して、話をさせていただきました。

■勤務先を選ばれた理由はどんなことだったのですか。

大学卒業後は、現在、九州大学のインプラント科の科長でいらっしゃる松下先生に師事し、第2補綴科に入局しました。そして1年目の春、沖縄の名護市にネーベンに行ったときに、康和会を知りました。名護市の役所前歯科は康和会の分院だったのです。当時の康和会は飯塚市に本院であるターミナル歯科があり、九州各地に分院展開を始めかけているところでした。私には開業という夢がありましたが、コネも資金ありません。そんなときに、康和会が福岡県の鞍手郡鞍手町に歯科医院を出す計画を知り、沖縄のネーベンを終えるとすぐに柴田康理事長に会いに行きました。今では珍しくありませんが、日曜日に診療されていることにショックを覚えましたね。
間もなくして、鞍手町の分院を任せてもらうことになりましたが、歯科医院名は「やまうえ歯科」に決まりました。設計の段階から参加させてもらい、従業員の面接をして、材料を揃え、無事に開院しました。私が29歳のときです。分院とはいえ、自分の名前がついたわけですから、理事長への恩返しのため、とにかくがむしゃらに働きました。開業への近道になるだろうと思って勤務先を選んだのですが、実際は康和会という会社組織を作っていく役目になりました。理事長と現在は中間スマイル歯科の院長である乗富先生と私の3人が中心となって、小石原の分院を始め、島原、鷹島、読谷、水巻と精力的に分院を開設していきました。毎日が非日常的で、とても楽しかったです。その反面、分院に勤務してもらう歯科医師の確保が大変難しいことに気づかされました。

■開業しようと決断されたいきさつをお聞かせください。

スマイル歯科理事長はやまうえ歯科に関してはとても自由にさせてくれました。あの環境を与えていただき、とても感謝しています。しかし、どんな歯科医院にしていくのか、明確なビジョンもないままに、ひたすら患者さんの治療をこなしていました。治療での問題よりも、従業員との関係に頭を悩ましていたように思います。6年後、ここで一生を終えるのかという漠然とした不安が心に芽生えてきました。そんな折に、盟友の乗富先生が康和会を辞めることを決意し、二人で新しい病院を作ることになりました。
乗富先生とライフダイナミック社の自己啓発セミナーを受講したことが契機でしたね。1年間、彼とともにセミナーに参加しました。当時、流行っていた自己啓発セミナーの走りだったのでしょうね。ベトナム戦争からアメリカに帰還した兵士に人間性を取り戻させるために始めたセミナーを日本人向けに改良したものだそうです。セミナーでは自分の人生、家族、愛情、仕事、幸せ、貢献など、乗富先生と徹底的に意見交換をしました。康和会では自由にさせていただいているつもりでも、本当の意味での自己実現ができていないと感じていました。だから、これを打破し、甘えをなくして、理想の歯科医院を作っていきたいと決意し、二人で康和会を飛び出しました。

■開業にあたってのコンセプトはどんなものでしたか。

スマイル歯科お互い、35歳、36歳といった人生の絶頂期に中間市でスマイル歯科を開業しました。患者さんがいつもスマイルでいることができるようにという願いを込めてスマイル歯科と命名し、従業員のための歯科医院づくりを基本テーマにしました。共同経営にあたり、乗富先生から私に対し、とてもユニークな条件が出されました。「飲み会と同じパフォーマンスで診療にあたってください」というものです。私は「仕事は厳しく、仕事外では楽しく」をモットーにしていましたが、「スマイル歯科には似合わないから、仕事中も楽しく」と言われたのです。四六時中、そのままの自分でいていいのかなと少し戸惑いましたが、杞憂に終わりましたね。開業初日、私は不安でしたが、乗富先生は「こんなに長い間、話し合ったんだから、必ず成功するよ」と言って、私を安心させてくれました。そして「今日はどうせ暇だから」と、同じ日に開店した安売店のバンドールに出かけていきました。さすがだと思いましたよ。





スマイル歯科 診療については、患者さんを主訴の処置の次に、別室にお呼びして、お話を伺いました。乗富先生はこのセッションを「インタビュー」と呼んでいました。私にはとても斬新な言葉でしたが、10年後に、歯科専門誌でこの言葉を見たときは非常に驚きました。時代の先を行っていたのだなと、つくづく感心しましたね。業者さんには「うちでは休んでもらおう」ということで、必ずコーヒーをお出ししました。子どもに喜んでもらおうと、クリスマスシーズンにはサンタクロースの格好で診療をしていました。
思いつくことは色々と試してみましたが、ことごとくうまくいった感があり、内容の濃い5年間を過ごしました。しかし、またここで、自分一人の力が社会でどう評価されるのかを知りたくなり、41歳の春に北九州市の黒崎でスマイル歯科を開業しました。スマイル歯科としては6番目の歯科医院でした

【経営理念】

■経営理念をお聞かせください。

まずは「社会貢献をします」ということです。そして「一生自分の歯を大切にすることで、幸せな人生を送っていただけるように援助します」、「愛情を持って患者さんに接し、患者さんの気持ちを共有することによって、心温まる医療を提供します」、「自分や自分の愛する人に、してもらいたい治療をします」、「笑顔があふれる、元気溌剌な職場を創ります」、「これから誕生する、歯科関係者とともに成長していきます」という理念を持っています。

【診療方針】

■診療方針はどのようなものですか。

地域ナンバーワンの歯科医院として、予防、治療、定期健診を徹底しています。治療は歯周治療をベースとした、咬合の再構築です。一昨年、一年間を通じて、経営コンサルタントに入っていただき、治療の流れを決めました。主訴、初診インタビュー、資料取り、インフォームドコンセントの順に治療を進めています。全て担当のアシスタントがつきます。歯周初期治療とともに、歯周治療用装置で咬合を確立し、インプラントや移植も選択肢に入れ、最終補綴を完成させます。治療が終了した患者さんには全てリコールオリエンテーションをします。ここから定期検診が始まります。

【増患対策】

■どのような増患対策を行っていらっしゃいますか。

スマイル歯科来院された患者さんがまた次に来院していただけるように、患者さんと丁寧にコミュニケーションをとっています。患者さんの訴えをよく聞くという傾聴を行い、患者さんが納得されてから治療に入ります。毎朝の朝礼での3分間スピーチでコミュニケーション能力を高め、週1回のカンファレンスで、治療方針の徹底と情報の共有を図っています。

【スタッフ教育】

■スタッフ教育については、いかがですか。

教育については、スキル向上を常に意識するような環境を作っています。
月例のミーティングで行うプロジェクターを使っての個々の症例発表や、学会への参加、最近では「再生歯科インプラント研究会」への参加等、色々な体験をすることにより、技術者として、医療人としてのスキルを各自で備えるように成長してくれています。
そして、最もわたしが心掛けているのが、当医院の3大ルールです。
1つ目は「時間を守る」
2つ目は「挨拶をする」
3つ目は「躾(5S)」です。
これは広義な意味としての「教育」にあたると思います。
この3大ルールを身に着けてもらう事で、スタッフの今後の人生を豊かにしてくれると信じています。

【今後の展開】

■今後の展開について、お聞かせください。

若い歯科医師に歯科医療の面白みを教えていきたいですね。私どもは鞍手、中間、黒崎と段々と都会に出てきましたが、口腔内の様子も違いがあります。都会の方が齲蝕は少ないと思っていましたが、黒崎でも欠損があって、お食事に困られている方も多くおられます。日曜診療をしていると、休みの日を利用されて来院される方も少なくありません。そんな方たちが何年もかけて治っていく姿を見ると、嬉しいですね。自分の好きな治療をして、患者さんに喜んでいただけるのなら、本望ですよ。
去年、出会った患者さんは過去ベスト3に入るくらいの難症例でした。巨大舌で開口、そして重度の歯周病のうえ、口臭もひどかったのです。最終補綴のイメージが湧きませんでしたが、松下先生に相談したところ、「まず上顎の1,1を総義歯に沿って決めろ」とアドバイスをもらいました。すると、問題はするすると解決していきました。歯科衛生士の上田と1年がかりで治しましたが、治療終了間際に、その患者さんから「あなたたち、俺で随分勉強になっただろう」と有り難い言葉をいただきました。今も上田が一生懸命、メンテナンスをしています。

スマイル歯科スマイル歯科はスタッフとともにあります。そういう思いで、スマイル歯科は増えていきました。現在、私どもと同じマーク、同じロゴのスマイル歯科は九州に18軒あります。年に一度、スマイル総会を行い、勉強会と親睦会で交流を深めています。この集まりは最高に素敵です。日本全体が不景気で、歯科業界も厳しい世の中だからこそ、熱いハートで真剣に生きていきたいものです。

一緒に仕事をした歯科医師が開業できるように援助していきたいですね。黒崎スマイル歯科を背負って立つのも選択肢の一つですし、分院展開をして、分院長をしながら、歯科医院を買い取っていくのもいいでしょう。5年後、10年後の夢を語りながら、それぞれがその夢を自己実現として叶えていくことが人生の醍醐味です。そういった気心が合った仲間同士で、貴重な人生の時間をともに過ごして、出会った皆さんと絆を深めていけたらいいですね。

【開業に向けてのアドバイス】

■開業に向けてのアドバイスをお願いします。

スマイル歯科出会いと熱意とスタッフに満足してもらえる歯科医院づくりが大事です。人生を振り返ると、私はとても運が良かったのですね。人生のターニングポイントにバドミントン部、九大第2補綴科、康和会、スマイル歯科がありました。そして、そこには松下先生、柴田理事長、乗富先生がいらっしゃいましたし、多くの人たちに支えられてきました。私はスマイル歯科を開業するにあたり、乗富先生と執拗なほど議論していたのが功を奏しました。そういった熱意をぶつけあえる関係は本当に貴重なものです。皆さんにいただいたものはスタッフに還元し、そのスタッフとともに社会に貢献していこうと考えています。






スマイル歯科 患者さんに喜んでいただくためにはまず、スタッフを満足させることです。スタッフ中心の歯科医院づくりを行い、スタッフの要であるチーフを育てることが基本です。チーフと良好な関係を築いていくことが歯科医院の第一歩ですね。あくまでも大事にする順番はまず自分、次にスタッフ、そして患者さんです。開業を目指す皆さんには自分を大事にして、自分たちの好きな診療をしていけば、長く続けていけると伝えたいです。

【プライベート】

■プライベートの時間はどう過ごしていらっしゃいますか。

スマイル歯科私は体力には自信があったのですが、年中無休の歯科医院を目指した結果、42歳のときにB型肝炎で3週間の入院をし、52歳のときに腸閉塞で4週間の入院をしてしまいました。50歳になると体力が落ちると聞いていたので、体力づくりのため、毎朝の通勤時、6キロを1時間かけて歩くようになりました。また、40歳のときからのライフワークとして、自分の誕生日に黒崎に戻ってくるように計画を立て、九州各地のスマイル歯科を自転車で回っています。3年前には九州を一周してみたいという気持ちがふつふつと頭をもたげ、1週間の断食で7キロの減量に成功しました。色々なハプニングも楽しい旅の思い出です。

スマイル歯科一昨年には体脂肪率も13%になり、大分、日向、宮崎、都城、鹿児島、天草、島原、久留米を駆けぬけました。去年からは輪行も取り入れて、九州の最南端である佐多岬の灯台を目指しています。現在は毎朝、自転車通勤をしています。一日でも長く診療を続けていくにはまずは体力作りだと信じています。細く長く仕事を続けていければ、これに勝る幸せはありませんね。