歯科経営者に聴く - 関歯科診療所 関豊成院長

歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~

関歯科診療所 関 豊成 院長

関歯科診療所

東京都昭島市は1954年に昭和町と拝島村が合併して誕生した。
昭和初期から戦時中までは軍需工場の街であったが、戦後は都心へのアクセスの良さから住宅街としての発展が進み、現在は11万人以上の人口を数えている。
関歯科診療所は関豊成現院長のお父様が1985年に開業した歯科医院で、JR青梅線の昭島駅から徒歩3分ほどの場所にある。関歯科診療所では最良の歯科医療の提供を目指し、2011年に大幅なリニューアルを行った。「会話から始める信頼の歯科医療」を理念とし、地域に根ざした存在となっている。 今月は関歯科診療所の関豊成院長にお話を伺った。

関歯科診療所 院長 関 豊成 先生

関歯科診療所 関 豊成 院長

プロフィール

  • 1977年 東京都生まれ
  • 2004年 神奈川歯科大学 卒業
  • 2005年 神奈川歯科大学附属病院 勤務
  • 2006年 本厚木小林歯科医院 勤務
  • 2007年 関歯科診療所 勤務
  • 2012年 関歯科診療所 院長就任
  • 【学会 他】
  • 日本顎咬合学会
  • 日本臨床歯周療法集談会(JCPG)
  • 日本口腔インプラント学会
  • 【修了セミナー】
  • Astra Tech Implant System "Tissue Management for Dental Implant" Course
  • OSI Treatment Planning For Implant Dentistry Course
  • Spline Implant Training Course
  • Simplant Academy course SurgeGuide Certificate Course 認定
  • OSI Implants Basic Training Course included lectures on surgical and
  • prosthetic treatment principles and hands-on training sessions
  • OSI Implants Advanced Training Course included lectures on surgical and prosthetic treatment principles and hands-on training sessions
  • 本多正明咬合・補綴設計セミナー
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【開業に至るまで】

■歯科医師を目指されたきっかけはどのようなものだったのですか。

高校生の頃は法律関係の仕事に憧れを抱いていました。そして、どうせそういった仕事に就くなら国家資格をとって検事や弁護士になりたいと思っていたのですが、両親は私が歯科医師になることに何の疑いもなかったようで、とても反対されました。大分揉めたのですが、祖父の代から昭島市で歯科をやっていますし、歯科医師になって親を安心させ、それでも法律関係の仕事への情熱が残っていたら法律関係へ進もうと考えて、まずは歯学部に行くことにしました。
今は歯科医師という仕事を選んで良かったと心底思いますね。情熱も歯科医療にのみ傾けられています(笑)。

■学生時代に思い出に残っていることはありますか。

関歯科診療所基礎系の学科が非常に苦手でしたが、反面、臨床系の実習は大好きでしたね。いつも、誰が一番上手いか、誰が一番早いかなどを友人達と競っていました。当時は患者さんではなく、実習は模型が相手ですから、責任感というかプロ意識が欠如していました。少し手先が器用なだけで満足していたのです。今思えば、まだまだ甘いところがあちこちに残っていたのですが、一人前のつもりでいたのかもしれません。まだ、客観的に自分やその周りのことを捉えることができていませんでした。

■関先生はいつ変わられたのですか。。

人生においてターニングポイントは一つだけではないでしょうが、私の大きな変革期はやはり研修医の頃だと思います。当時、少しずつ自分の技術に自信を持ち初めていましたが、指導医の先生方との治療のクオリティの差は明らかでした。でも、患者さんはカルテ上で同じ内容の保険診療をしている以上は指導医の先生方の治療にも私の治療にも同じ額のお金を支払われるわけです。これは本当はおかしいですよね。当時の私の治療にそんなに価値はないのですが、制度がそうなのだから別に構わないとも思えませんでした。圧倒的な罪悪感に苛まされ、出した結論が「努力」でした。ですから、そこから多くの本を読み、指導医の先生方に質問し、セミナーに行き始めました。多分、今の私のスタートはそこでしょうね。

■卒業後、勤務先を選ばれた理由をお聞かせください。

私には恥ずかしながら国家試験に落ちた経験があります。そのため5年生の病院実習から時間もかなり経っていますし、臨床の場から離れてブランクがあったわけです。ですから、最初から開業医を研修先としても、その研修先の先生に迷惑をかけるか、またはただアシスタント業務をさせられるか、どちらかだと思いました。そこでまずは教育機関でもある母校の大学病院に飛び込んで患者さんを診療させていただきながら教えを乞い、勘を取り戻し、基礎的な術式を再度学ぼうと考えました。根治、形成、印象、義歯作製、とにかく保険診療で行う基本的なことさえしっかりできるようになっておけば就職するときに困ることはないだろうと。それに、いつかは保険外診療や高度な診療もしたいけど、それには基本がしっかりしていなければ絶対に上手くなれるはずがないという変な確信もありました。結果的にその考えは間違っていなかったと思っています(笑)。甘ちゃんなりに必死で考えていましたね。

■その後、医療法人社団 馨祐会 小林歯科医院に就職されたのはどうしてですか。

研修期間が終わりに近づき、私も保険診療についてはある程度自信を持ち始めていました。少し天狗にもなっていました。周囲からは上手いとか、器用とかと褒められて、完全に大海を知らない井の中の蛙状態でした。最低限のことはできましたので、普通の一般開業医としてただ単に父の跡を継ぐのであれば、それでも良かったのかもしれません。

しかし、そんな私のところに小林英史先生から電話が来ました。彼は小林和一先生の長男であり、学生時代に仲良かった友人でもありました。「お前の知らない歯科の世界もあるよ。見学に来いよ」という言葉の真意も解らないまま、ただ同級生に会いに行く程度の感覚で見学に行き、衝撃を受けましたね。全てにおいてレベルが違いすぎましたし、レベル云々と言うよりも闘っている土俵自体が違ったんですね。次の日には彼に「俺を雇ってもらえないか」と電話していました。

■小林歯科医院で学ばれたことはどんなことですか。

関歯科診療所とにかく本当に多くのことを学ばせていただきました。 その中でもまず、自ら学ぶことの大切さでしょうか。分からないことをすぐに人に聞くのは楽ですけど、すぐに忘れますし、自分の糧になりづらいですよね。その点、小林歯科では分からないことを質問すると、一言目には「なんの文献読んだの」、「それについて自分はどう考えているの」といった類いの質問が返ってきました。つまり、自分である程度下調べをし、仮説を立てたり、自分の考えを持ったうえでないといけなかったのです。今から考えれば、それは当たり前ですけどね(笑)。

仕事に対してストイックであり続けることの大切さと難しさ、同時にその楽しさも学びました。ある一瞬だけストイックでいることは比較的簡単です。しかし、ストイックであり続けることは本当に難しいですよね。まず、自分が精神的に強くなければいけません。そして、そうあり続けられる環境も必要です。ですから、私は自分が院長になったときに自分がストイックであり続けられるようにスタッフも育てようと考えるようになりました。簡単に言えば、私が精神的に折れたり、楽な方に逃げたりして、診療に手を抜き始めたときにそれに気づいて「それで良いのですか」と言ってくれる、そんなスタッフです。小林歯科医院にはそういった高いプロ意識の持ち主が複数人いました。言葉で言うのは簡単ですが、実際にそういったスタッフを育てるのは本当に大変でした。関歯科診療所にもようやくその環境ができつつあります。

■ご実家の歯科医院に勤務しようと決断されたいきさつはどんなことだったのでしょう。

関歯科診療所端的に言えば、親孝行するためです(笑)。最初、私は卒後10年は小林歯科医院やほかの歯科医院で修行をして、多くのものを見聞してから父の引退を見計らって、ここに戻るつもりでいました。しかし、父の体調が思わしくないことも多くなり、普段は絶対に弱音を吐かなかった父の口から「今まで通り仕事をしたいけど少しきつい。戻ってきてくれないか」という言葉を聞いて即決しました。

ただ、父の診療の仕方と私の診療の仕方には既に埋めることができない方向性の違いがありました。ですから、シビアなようですが、帰るにあたっては条件を出しました。スタッフ教育は全て私に任せることです。対して、父からも父の患者さんの治療に口出ししないことという条件がありました。

最初のうちは関歯科診療所の中に違う歯科医院が2つあるような状態でした。しかし、それを見越した上での話でもありましたし、それまでも週に何度かは手伝いに帰っていましたが、本格的に帰ったのはそういった経緯からですね。

■お父様は開業地をどのように選ばれたのですか。

父の出身地は富士山麓の方だったので、最初はそちらの方を候補地として探していたようでした。まだ小学2年生だった私と幼稚園児だった妹を連れて、毎週末に開業候補地を探しに車であちこちに飛び回っていたのを覚えています。結局、昭島市で祖父とともに仕事をしていて、父のファンになってくださった患者さん方を置いていけないという理由で祖父の開業していた場所からあまり遠すぎず、近すぎない現在の場所を選んだようです。結果的に祖父、父、私と三世代にわたってお口の中を診させていただいている患者さんも少なくありません。患者さんから「あなたがまだ小さくて、診療室をウロチョロしているときから知っているわよ」などと言われると、もうバツが悪いと言いますか、あまり偉そうな顔もできないですよね(笑)。でも、そういった環境も含めて、私はここで開業していることの意義は大きいと感じています。

■継承にあたってはどんな苦労がありましたか。

関歯科診療所先ほどの話にもありましたが、私が本格的に関歯科診療所に戻ることになり、一番のネックは診療方針の違いでした。そのことで父とは何度もぶつかりましたし、苦悩もしました。30年以上歯科医師をやっていた父には父のプライドがあったでしょうし、それは私も充分過ぎる程、理解できました。でも、自分がこの場所に戻って歯科医師として仕事をするからには自分が正しいと信じる道を切り開いていかなければならないのが現実です。

治療方針にしても、患者さんへの応対や情報提供にしても、スタッフへの教育にしても、中途半端に変えることこそ、危険だと思いました。ときには父のやり方を真っ向から否定せざるを得ないこともありました。辛い日々でしたね。それは父も同じだったと思います。もしかしたら父の方が辛かったでしょうね。スタッフの教育方針や患者さんへの情報提供をより正確に分かりやすくすること、応対の仕方など、毎晩のように自分の思うことを説明し、意見を交わし、ときには大ゲンカをしていました。

よく、親子で診療するようになると必ず揉めると聞きますが、その典型だったのではないでしょうか。スタッフも私についてくれば良いのか、父にそのままついていくべきなのか迷っていたと思いますし、実際に私についてこられないと辞めていくスタッフも何人もいましたよ。そのたびに自分が間違っているのか、自分の目指す先がおかしな方向なのか自問自答し、自分を毎回責めましたね。本当にこの過渡期は毎日が辛くて、勤務医だった頃を懐かしんで、あの頃に戻りたいなどと考えたりしていましたね。

■継承にあたって、設計やレイアウトなどは変更なさいましたか。

関歯科診療所変更しました。というより全面的にリフォームしましたね。関歯科診療所に戻ってきて、1年半かけて設計士や建築士の方やディーラーさんなどと話し合いを重ねて、リフォームしました。

ユニットはリフォーム前もリフォーム後も4台のままですが、その内の3台は治療スペースを大きく取り、半個室としています。スタッフがアシスタント業務を狭い空間で行わなくて済むようにし、患者さんも圧迫感を受けにくいように考慮しました。また、もう1台は特診室兼手術室として完全個室にしました。歯周外科治療やインプラント治療を行ううえでも手術室は必要でしたね。

これからも必要だと思われる歯周外科療法や歯周再生療法においても、昨今、良くも悪くも話題になるインプラント治療においても診断の大きな糧となるCTも導入しました。やはりインプラント治療を行ううえで三次元的なものの見方のできないレントゲンだけで施術するのは私には大きな抵抗がありましたし、かといって近くの総合病院で撮影して来てくださいというのも、料金を別に支払ったり、予約をそのために取らなくてはならないですから、患者さんの負担になるのが嫌だったのです。ですから、CTの導入は私にとっては必須でした。

スタッフはそれまで、ものすごく狭い部屋で昼休みを過ごし、着替えをしていたので、スタッフのための部屋も大きく取りました。仕事場は平日、自分の家で活動している時間よりも長い時間を過ごす場所ですから、彼女たちにも過ごしやすい環境を提供してあげたかったんです。場所を提供してスペースさえあれば、あとは彼女たちが好きなようにレイアウトして使いやすいように空間を作り上げていってくれればそれでいいというふうに考えていました。プレゼントのような気持ちでいましたが、その思いに気づいてくれているかどうか、自信はありません(笑)。

とにかく、歯科医院らしくない診療所を作りたいと思っていました。結果的には診療内容を見ても治療が多いので診療所なのですが、いつか、サロンのような落ち着ける空間にしていきたいですね。

■継承にあたってのコンセプトとはどのようなものだったのですか。

関歯科診療所継承にあたってというよりも診療の根本にあるコンセプトは常に「対症療法だけではなく原因除去療法を」ということでしょうか。

例えば、ご自分の体の一部が痛くなってお医者さんに行ったとしますよね。痛みを訴えていることから、痛み止めを処方してくれるお医者さんと痛みの原因が何から来ているのか突き止めるために検査やレントゲン撮影をしてくれるお医者さん、どちらにかかりたいかという話です。

前者は、薬が奏功すればという条件付きですが、早急に痛みを取り除くことができるかもしれません。確実に言えるのは、後者よりも医療費はかかりません。後者の場合、痛みはすぐには引きません。お金も余計にかかります。しかし、原因が究明できればもう二度と同じ痛みを味わわなくて済むかもしれないし、病気なのだとしたらその病気を治すことができるでしょう。

どちらかを選ばなくてはいけないのであれば、私は後者を選びたいです。でも、望むなら対症療法をしっかりして痛みを軽減したのちにしっかりとした原因究明を行ってくれる医師ならばそれがベストだと考えています。ですから、私はそういう歯科医師を目指しています。それが基本コンセプトです。

【経営理念】

■経営理念をお聞かせください。

関歯科診療所基本的に、経営的なことについては当たり前のことしか考えていません。来院してくださる患者さんに最も良いと思われる治療法と妥協案をいくつか選択肢として提示し、患者さんに選択していただきます。その際に思い込みや感情的な部分で選択をしてしまわないように、正しい知識と情報も提供します。そのうえで患者さんに選択していただき、限られた環境だとしてもその中でベストを尽くし、それに対しての正当な評価としてお金を患者さんからいただきます。

お金のために保険外診療を勧めるとか、インプラントを埋入するとか、それは医療ではなく、ただのビジネスですよね。私どもが保険外診療を患者さんにお勧めするのはそれが患者さんの健康に間違いなく寄与できるからです。こだわるところをこだわり抜けること、使用する材料も最高のモノを使用できること、マテリアルが長期的に科学的に安定していることなどからお勧めするわけです。始めにお金ありきだったりすると、患者さんとトラブルになったり、訴訟になったりするのではないでしょうか。

大分前から、「勝ち組、負け組」といった言葉を聞きますが、違和感を禁じ得ません。お金が儲かっていれば、勝ち組と言うのもおかしな話です。それ以前の治療のクオリティや患者さんの満足度こそが大切なファクターですよね。ですから、私自身はまず自分たちの仕事は医療行為であるということを念頭に置いています。そして、医療を完全なるサービス業とも捉えていません。患者さんとは良好なコミュニケーションを築かなくてはなりませんが、どちらが上とか下とか、そういったことはないと思うのです。もちろん、現状の日本において診療所のドアをくぐる方は何かしらの苦痛や不安を抱えていることがほとんどですから、安心感を与えてあげるとか、優しく接するなど、おもてなしの心のような物も絶対に必要です。

ただ、患者さんが間違えた知識で治療方針を選択しようとしていたら、それをより良い方向に導くのも私たちの仕事であるし、患者さんが選択した治療方針の中で必死で良い予後を追い求めてもがくのも私たちの仕事だと思っています。ですから、「〇〇様」というような呼び方は患者さんには敢えてしていません。常に「〇〇さん」です。ニュアンス的な問題で、しかも好みが有りますから、つまるところ自分の好みでしかないのかもしれません(笑)。

【診療方針】

■診療方針をお聞かせください。

関歯科診療所沢山ありますよ(笑)。まずは患者さんへの正しい知識の提供、供給ですね。最近、マスコミなどでも頻繁に歯科医療に対してのニュースや記事が出ていますけど、中には放送、出版している関係者の取材不足や思い込みを勘ぐりたくなるような質の悪いものもあります。しかし、マスコミでそういった露出があれば普通は信じてしまいますよね。そんな中で学術的な根拠に基づく出所のはっきりした情報、経験に基づく知見、偉大な先人たちの経験などをしっかりと患者さんにお話することは治療をすることと同じくらい重要な私たち医療従事者の使命だと思っています。

そのためには、私だけでなく、受付も助手も衛生士も一緒に勉強して、同じ知識を共有しておくことが大切です。患者さんのデンタルIQを高めることによって、いつか自分の診療所からタービンや5倍速コントラの音がどんどん少なくなって、本当にサロンのような美容院感覚で通える場所になったら嬉しいですよね。

しかし、現状はそんな夢みたいなことを言っていられる状態ではありません。歯周病、齲蝕、喪失歯の放置、歯肉退縮、咬合崩壊、様々な疾病や病態を抱えていらっしゃる方がほとんどです。そんな中で、患者さんが都心に出なくても、昭島という東京都下の街でも一流の治療を受けられるような、そういった診療所にするのが現在の目標であり、診療所としての方針ですね。それは歯科医師の処置だけでなく、受付での応対から始まって導入、説明、衛生士によるクリーニング、そういったことに至るまでです。

よく、「患者さんを自分の家族だと思って治療しなさい」などと言われます。でも、正直言って、そんなのは無理ですよね。家族ではありませんから、少なくとも私には無理です。私はできないことは言いたくありません。綺麗ごとを言うのも好きではないです。ですから、もう一つの方針は「普段からしっかりとした治療を行って、いつも患者さんが受けている治療を家族にもできる様に」でしょうか。こちらの方が私には無理がないように感じます(笑)。ほんの少しのニュアンスの違いですが、大切なことだと思っています。

■患者さんの層はいかがですか。

まだ父の頃の患者さんの層が色濃いですので、基本的には父と同年代、つまり壮年期から高齢者の方が多いですね。お子さんの患者さんも口コミでちらほらと来院されるようになりました。そもそも私の専門は成人歯科で、小児歯科に関しては専門的に勉強はしていません。本を読んだくらいです。ですから、難しい症例は正直に私の手に余ることを患者さんとその保護者さんに話して、小児歯科専門の歯科医院さんへご紹介させていただくこともあります。

ただ、親御さんの要望でどうしても当院で治療を受けたいといった場合は、とにかく歯医者さんを嫌いにならないように、怖くならないようにすることに気を配っています。子どもは大人が思っている以上に繊細だし、頭も良いと思います。ですから、しっかりと説明しますし、絶対に嘘をついたり、約束を破ったりはしません。その代わり、調子に乗ってふざけていたりすると結構な怖さで叱ります(笑)。そうやって、人間同士のコミュニケーションを心がけていますね。

■自費と保険の割合について、お聞かせください。

関歯科診療所正直なところ、自費にはバラつきがありすぎて平均値が出せない程です。保険対自費の割合が5対5のこともあれば、9.5対0.5の月もありますので、完全に水物ですね。現状はほとんどが保険と言っても過言ではないかもしれません。たまに、私の治療を評価してくださる方が全顎的に自費診療を選択されるケースがあるぐらいです。

多分、保険診療一本に絞っていけば点数も毎月コンスタントに安定しますし、収入や支出の予想も立てやすいので楽なのかもしれません。しかし、やはり患者さんには良いもの、長く保つものを選んでいただきたいですから、選択肢として必ず提示するようにこれからもしていこうと考えています。誰のために説明をし、誰のために治療をするのかを常に見誤らないようにしていきたいですね。

【増患対策】

■どのような増患対策を行っていらっしゃいますか。

父がやっていたころから駅に小さめの看板は出していますが、それ以外は看板も電話帳に載せるのも全て辞めてしまいました。来ていただきたいのは「関歯科診療所に通って治したい」という患者さんであって、とりあえず今日やっているところならどの歯科医院でもいいと考えている患者さんではありません。偉そうに聞こえてしまうかもしれませんが、自分のことを評価してくださる患者さんのために自分の力を精一杯注ぎ込みたいという思いは偽らざる本音ですね。

ホームページもありますが、患者さんとのコミュニケーションツールとして、正しい情報を患者さんに提供することや関歯科診療所で働いている人間がどういう人間なのかを知っていただくことが目的ですので、増患という観点でホームページは作っていません。より理想のホームページに近づけるためにリニューアルも考えています。

来院動機は口コミがほとんどです。強いて言えば、真摯に仕事をすることが一番の増患対策だと考えています。有り難いことに2カ月先まで予約が一杯で詰まり切ってしまっているので、どうにか早く診てさしあげたいと腐心しているところではあります。

【スタッフ教育】

■スタッフ教育について、お聞かせください。

指示待ちではなく関歯科診療所、自ら考えて動ける人間にならなくてはいけないということをまず伝えるようにしています。学ぶことにしても同様でしょう。education(教育)ではなく、learn(学習)でなくてはいけません。学校ではないわけですから、教室にいれば先生が勝手に来て、勝手に喋って、勝手に板書して、勝手に帰っていくような環境ではないのです。


自らが学ぶ姿勢でいなければ、成長はしません。ですから、自分から質問に来ない人には最低限のことしか教えませんが、自分から積極的に質問に来るスタッフにはとことん付き合って教えます。「聞いてないから知りません」、「教えてくれないから分かりません」では絶対に成長しないですよ。最近は褒められたがる人がよくいますが、褒められるために仕事をするなというようなこともよく言いますね。そういった人は褒められなくなったらすぐにモチベーションを失いますから、これもまた成長しません。調子よく褒められているときはある程度伸びるでしょうが、褒められなくなったら腐るのが定石ですね。そこをいかに乗り越えるかが大切です。仕事なのですから、できて当たり前です。褒められることは滅多にないと思った方がいいですし、私もそう思っています。しかし、失敗したら、その責任は即、自分の肩にのしかかってきます。精神的な強さも磨かないと、やっていけませんから、強くなるように鍛えています(笑)。

一人でも意識の高い歯科衛生士が育ってくれれば良いなという思いで、衛生士学校の実習生の受け入れもしていますよ。しかし、「あそこは厳しい」という、あまり有り難くない評判もいただいているようです(笑)。実際はそんなに厳しくないんですよ。当たり前のことを当たり前にやっているだけです。ですから、毎年学生の中にウチで働きたいと言ってくれる子が居ますし、そこはもう意識や目線の高さの問題なのではないかと思っています。

【今後の展開】

■今後の展開について、お聞かせください。

当たり前のことを当たり前に行って、そのうえで高度な治療など、できないことの少ない歯科医師、歯科診療所でありたいですね。苦しんでいる患者さんの主訴を聞いて、それを解決できないことがあるのは嫌ですしね。「それも当院でできますし、こういったほかの治療法もありますよ」と言えるような引き出しの多い診療所が理想です。

アメリカでは専門医がチームを組んで治療に取り組んだりしていますが、患者さんの移動距離を考えるととんでもないですよね。各専門医が各々診療所を構えているわけですから、患者さんは今日はあっち、明日はこっちと、ものすごい移動を強いられるわけです。しかし、かかりつけの身近な診療所で、または身近でなくても一箇所の診療所で一通りの治療を受けることができれば患者さんの負担は大きく軽減されます。

関歯科診療所 そして、それと並行して患者さんのデンタルIQを底上げできれば20年後、30年後には本当にサロンのような診療所になるのではないでしょうか。歯を削る音や消毒薬の匂いがしない診療所にするのが最終的な理想です。そのときは「診療所」の名前を返上しなくてはいけませんね(笑)。

【プライベート】

■プライベートの時間はどんなことをして過ごしていらっしゃいますか。

趣味は特にないですが、読書が好きで、主に小説を読んでいます。好きな作家は垣根涼介さん、横山秀夫さん、池井戸潤さん、真山仁さんなどですね。ミステリーも好きですが、殺人事件を単純に解決していくものよりも、そこに至るまでの社会的な背景などをしっかり取材して書かれたものに惹かれます。