歯科経営者に聴く - エルアージュ歯科クリニックの加藤俊夫理事長

歯科経営者に聴く ~第一線で活躍する院長から学ぶ~

前田歯科医院 前田敬 先生

患者さんが医院を選ぶ時、何を基準に考えるでしょうか。知人や家族の紹介・看板・電話帳といった従来からの媒体ももちろん大切ですが、ネットが大きな情報源の一つになっていることは、既に常識でしょう。しかし、ここで言うネット情報とは、単に医院のホームページということを意味しているのでしょうか。
ホームページも医院自ら作るものである以上、賢い患者さんは額面通りに受け取らず、裏の裏まで読もうとします。リサーチに慎重な患者さんが最後に参考にするのが、いわゆる「口コミ」系の掲示板です。誹謗中傷の書き込まれる可能性もあり「必ずしも公平とは言えない」という指摘もありますが、患者さんの声が利害を廃して直接に交換される場所であることは事実です。そんなネット上の噂が一つのきっかけになり、急激な増患をみた歯科医院があります。
都内有数の激戦区恵比寿で開業する前田歯科医院さんです。「口コミ掲示板」の噂は本当なのか、医院にとってのネット情報とは。
これらを軸に、ユニークな医院作りでも評判の前田敬先生をお尋ねしました。

前田敬 先生

前田敬 先生

1.ネットでの噂

前田敬 先生「初めは全然知らなかったのですよ。急に患者さんが増えて、最初は近所の医院がどこか廃業したのかと思っていました(笑)。」そう語る前田先生は、たまたま体調が思わしくなかったにも関わらず、嫌な顔一つせず出迎えて下さいました。患者さんでもないわたしたちに対しても、噂に違わぬ腰の低さです。ご自身のサイトでも宣伝されている通り、待合室には木目のアコースティックピアノが置かれ、院長演奏による心地良い音楽が流れています。重低音の体感できるボディソニックシートもホームページ通りです。自動殺菌ディスペンサーからスリッパが現れるコミカルな様子は、件の掲示板でも触れられていました。
前田歯科医院では問診の際に来院のきっかけを尋ねていますが、昨年秋から、そこに「インターネット」と書かれる患者さんが増えはじめたといいます。二人の勤務医の先生に尋ねても、やはり「ネット経由の患者さんが増加している」とのこと。「医院ホームページのことだろうか」と思って見てみると、確かにカウンターの数字がすごい勢いで増えています。しかし、「もう何年も更新していない」というそのホームページにどうして人が集まっているのか、わかりませんでした。

「親しくなった患者さんとお話していて、やっと理由がわかったのです。驚きました。嬉しいと同時に、緊張しています。 あの掲示板では、悪い評価がされると字が赤色になって、医院名が伏せられるんですよね。それを思うと恐ろしくて、気が抜けません。ある日突然『M歯科医院』になっていたらどうしよう、と(笑)。でも『こんなところまで見られているんだ』とスタッフ全体の士気が高まったのは良かったと思います。」

2.開業まで

前田先生は、母・兄・叔父など八人の親戚が歯科医師という環境の中で育ちました。お父様は学校経営などに携わり、歯科関係ではないところがユニークです。三歳からピアノを習い始め、将来は音楽で身を立てようと思って、高校一年までは文系コースでした。

「三者面談の時、父が先生に『歯学部に進ませたい』と言ったら、『歴史ですか。いいですねぇ』と答えられたんですよ(笑)。それをきっかけに音楽で生きていくという夢がバレて、あやうく破門されるところでした。その頃は東京芸大の人とバンドを組んだりしていて、音楽で飯が食えるような気がしていたんですよね。 でも実は、僕は楽譜が読めないんですよ。耳で聞くだけで弾けてしまうのですが、プロとしてやっていくには問題でしたよね。子供の頃にピアノを習っていたときも、先生が楽譜をめくっていないのに弾けてしまって、読めていないのがバレました。ちなみに、これがきっかけでピアノも破門になりました(笑)。」

「まずは歯学部に行ってから考えるように」という周囲の勧めもあって、鶴見大学歯学部に進学。昭和63年に卒業、お母様が総院長の五反田の医院に勤めました。同時に週に一回、叔父の医院で外科のアルバイトもしていました。 十年ほど経った時、開業の話が持ち上がりました。東京都歯科医師会で要職にあった叔父を通じて受けたオファーでした。恵比寿が激戦区であることもあり、反対する声もあったとのことですが、思い切って挑戦してみることに決めました。オープンは「歯」にかけて平成八年八月八日としました。

「やるからには何でも自分で手がけようと思いました。人に任せるのは嫌いなのです。何か起こった時に、その人のせいになってしまうでしょう。配線も自分で引いて、内装は家内の弟と取り組みました。当時はまだ新米の大工さんで、玄関の大理石のカーブを逆に作ってきた、という笑い話もあります。お陰で、壊れた時も自分で直せます(笑)。 歯科医院らしくない医院にしようと思って、照明にも音楽にも懲りました。歯科というところは、どうしても完全無痛というわけにはいきませんから、少しでも気を紛らわせてもらうためにユニットの前にハイビジョンモニタを置くことにしました。サービス過剰になってしまったのか、開業当初はなかなか収支が安定せず苦労しました。」

経営的には楽ではなかったそうですが、治療コストを切り詰めるようなことはしませんでした。

「だからといって、スタッフの給料を下げるわけにもいきません。遊びたいざかりの若い女性に九時近くまで働いてもらっているわけですから、相場より高く支払っています。経営者である以上、結局自分ががんばるしかありません。開業直後には15キロ痩せましたよ。その後はストレス太りで揺り戻したのですが(笑)。」

3.「インフォームドコンセント」と歯科レーザー

前田敬 先生前田先生の姿勢は、徹底して相手の立場に立っています。それも計算して配慮しているのではなく、「本当に良い人」というオーラが全身から放たれています。「急性症状のある患者さんには、携帯番号の書いてある名刺も渡してあります。朝四時にかかってくることもありますよ。痛いものは痛いのだから、仕方ないでしょう。お陰でどうしても家族サービスが疎かになってしまいますが、家内もわかってくれています。」

口コミ掲示板では、技術や人柄と共に、説明の丁寧さが絶賛されていました。

「他の歯科のことはよく知らないのでどんな態度で接しているのかわかりませんが、歯科医院というのはサービス業でもあるわけです。高飛車な態度でよいわけがないでしょう。『インフォームドコンセント』なとどいうことが言われていますが、そんな言葉がでることがおかしいです。患者さんは大事な大事な歯をいじられるわけですから、当然知る権利があります。わざわざ横文字で言うようなことではありません。きちんとわかりやすく説明して安心してもらい、『わたしも一所懸命に治療しますから、協力して下さいね』という態度で接することです。」

レーザー治療についても、掲示板で評価されていました。歯科レーザーを導入している医院は多く、ホームページなどでは華々しく宣伝しているところもあります。幅広い治療効果を持ち、痛みも少ないレーザーには、患者さんの注目も集まっています。前田歯科医院では開業当初から導入していましたが、必ずしも経営の目玉にはしていない、ということでした。

「Nd-YAG LASERを、浅いカリエスや根管治療で使っています。麻酔効果もあり、根管は機械で削れる範囲に限界がありますから、重宝しています。細胞を活性化するのか、治りも早いですね。ただ窩洞形成等ではそれほど便利だと思いませんし、万能ではありません。何でもかんでもレーザーでやろうとは思いません。患者さんには受けが良いので、レーザーを使わないと寂しそうな顔をする人もいるのですが(笑)。 実は叔父から『レーザーを使っても自費の人からしか治療費を取るな』ときつく言われていて、ほとんどボランティアなのです。保険でレジンを詰めている人に使っても、請求していません。経営の目玉どころか、お荷物かもしれません(笑)。新しい税理士さんが入った時に、絶句していましたよ(笑)。」

お話を伺っているわたしたちも、言葉を失ってしまいました。「歯科医は儲かる仕事じゃないですよ」と仰る先生ですが、いくらなんでも商売っ気がなさすぎます。しかしそんな「いい人」ぶりが増患につながっているわけですから、なかなか複雑なものです。

4.下町で育まれた経営法

終始笑顔でユーモアを交えて語る先生ですが、最近になって「初めてキレた」と仰います。見ると、医院の壁にスタッフに向けた注意事項が張り出されていました。「患者さんがうがいをしている時は正面に立たない」「ドアは静かに閉める」といった、基本的な注意事項が箇条書きにされています。

「スタッフがまとめて入れ替わったのですが、当たり前のことを当たり前にやってくれなくて、とうとう堪忍袋の緒が切れました。言ったら理解してくれたので、良かったですけれどね。歯科医院というのは好きで来る人はいないのです。辛い思いをしている人が痛みをこらえていらっしゃるのですから、相手の立場に立って考えないといけません。自分の基準でものを考えては駄目です。 以前旅先で知り合った帝国ホテルの人に、接遇について色々教えてもらったのですが、大変奥の深いものです。些細なことでも、気をつけてできることはたくさんあるのです。」

「キレた」と言っても、闇雲に上から押し付けたわけではありません。スタッフに対する接し方にも気を使っています。「衛生士さんの平均勤続年数が五年以上」という実績が、これを証明しています。

そんな先生の人当たりの良さは、一体どこから生まれたのでしょう。

「幼い頃から母の治療を見て育ちました。他の医院さんから来た患者さんは、『歯の触り方がやさしい』と言っていました。急性で痛がっている患者さんには、手を温めて触ってあげた方が良いでしょう。完全な無痛というのは無理ですから、ちょっとでも痛くないように、手間隙かけるのです。 下町だったので、待合室に入れなかった患者さんが外で囲碁や将棋を指していました。患者さんと言っても普段お付き合いしている人で、密な人間関係があったのです。悪いことはできません(笑)。 勤務医時代もその延長で、義歯を中心にやっていました。恵比寿に開業して、患者さんの平均年齢が三十歳くらい下がったのですが、基本的には同じ感覚でやっているのでしょうね。買い物も、ちょっとでも貢献になるよう、地元でするようにしています。」

先生はご自分で「ボンボン」とおっしゃる通り、歯科医家庭に育ちました。そこで学んだのは、患者さんの目線で考える控えめな医療者の姿だったのです。 歯科医療業界以外との交わりの多さ、多趣味なことも、人間の幅を広げたのでしょう。待合室で流れる音楽が院長演奏によることは前述の通りですが、先生は今も音楽活動を続けておられます。『日本音楽療法学会』(註)にも所属し、BGMにもα波によるリラックス効果が含まれているのです。そんな先生は、日ごろのお付き合いも他業種の方とがほとんどだと仰います。

「歯科医師会には入っていますけれどね(笑)。お酒が飲めないこともあって、二回くらいしか顔を出していません。患者さんとはよく遊びに行くのですけれど。」

最後に、若いドクターに一言頂戴しました。

「自分のことを評価しすぎてはいけません。奢りは自分を見失わせてしまいます。何事に対しても努力を惜しまず、学ぶ気持ちを大切にし、常に謙虚な気持ちで患者さんに接してもらいたいです。ステディーグループに参加したり、いつまでも積極的な勉強を続けて欲しいです。わたしは山崎長郎先生を会長とする東京SJCDを卒業しているのですが、いつも自分は最低レベルと考え、そこから這い上がろうという気持ちを失わないようにしています。 それから『長い目で見ろ』ということですね。結局は人間関係ですから。」

都会では人間関係が希薄になり、匿名性によるインターネットの危険性が叫ばれることがあります。ところがそこで評価されたのは、実は下町で育まれた人情と、どこまでも謙虚な人柄だったのです。 技術が進歩し、情報源が多様化しても、結局発信しているのは一人一人の人間でしかありません。ネット情報は透明なだけに、ごまかしがききません。歯科経営者として心がけるべき「常に謙虚に、一人一人の患者さんを大切にする」という姿勢は、今も昔も変わらないようです。

(註)日本音楽療法学会

疾病と健康に関わる音楽の機能と役割を学際的に研究し、音楽療法が医療、福祉、健康、教育の領域において積極的に展開することを目指し、音楽療法を通して国民の健康の維持・促進など広く社会に貢献することを目的とする。
音楽療法とは、「音楽のもつ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること」をさす。